鉄道から省みる地元の歴史(南相馬市)
「汽笛一声新橋を・・・」・・明治5年(1872年)9月12日(太陽暦10月14日)に
日本初の鉄道が新橋〜横浜間に開業し、新橋駅が開業した。
芥川龍之介「トロッコ」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/43016_16836.html
人間の社会は交通とともに興隆と衰退がある。船から鉄道から車から飛行機と時代が変わっていった。江戸時代でも街道筋の宿場町は栄えた。原町は原町宿ができて町が拡大した。何故なら野馬追いに参加するのは中の郷では原町村となっていて一つの旗印しか出ていない、姓も一人だけである。野馬追いにに参加するのは街の中心ではなく在の農家からが多いことでもわかる。原町は原町村であり宿場町として発展していった。それから駅前通りが発展してやがて車社会になり六号線沿いに街は開けていった。
原町の名の起こり
http://www.musubu.jp/somagappeijiji.htm#harana1
田口などは明治の終わりまで家が十軒あまりのところで、昔から伊奈街道の荷つぎ場で店屋はありましたが淋しい所でした。それが荷車で荷つぎするようになって急に家がふえました。
「忘れられた日本人-名倉談義-宮本常一」
当時「カケモチ」といって、同じフィルムを隣町の映画館と持ち回りで使う方式がよくとられ、 劇場から他の劇場へフィルムをバイクで運ぶ のが常だった。
当時の映画のフィルムは可燃性で、すぐ燃えたり、途中でよく切れたものである
http://www.geocities.jp/moon_roomjp/eiga/eiga.3.htm

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