
松一本街道に残り枯芒
五本松名のみとなりて冬の暮
三色の冬薔薇映ゆ瀟洒な家
黒竹に映えて暮れにき冬紅葉
駅遠く街のはずれや冬の雲
寝たきりに動かぬ病人冬の雲
街道の一本松のあわれかな枯れつつ残り芒も枯れぬ

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日吉神社のある一石坂を今度買ったヤマハのパスブレイスの最新式で上った。これは坂に強い、距離も百キロはでる。ここの坂はきついから10年間くらい上っていない、歩いて上るとへとへとになる。他でも飯館でも坂上るのに半日かかるからなかなか行けない、これだとそれほど疲れずに行ける。こういう自転車が欲しかった。やっと願いがかなった。これは短距離だと思ったが本当に長距離向きである。荷物をのせても電機で走るから半分バイクだから楽なのもいい、これは長距離でも楽に走れるものなのだ。老人でもこれだと楽になる。機械の力はやはり車が社会を変えてしまったようにその効果は大きい、坂の多い日本には向いている。なぜこのような自転車が日本で作られたかというとやはり日本は坂が多いせいなのだ。山が多いからトンネルも多くトンネル技術が発達した。風車は中東のような砂漠地帯で発明されたのもわかる。風が常に吹いているからである。つまり技術もその国の風土によって開発されることがあるのだ。スポ-ツだってイギリスのようなまるで国土がゴルフ場のようになっているからこそゴルフも発達するのがわかる。
陸前浜街道の五本松に一本残った松は枯れそうになっていた。もう枯れてしまうだろう。
松は枯れても惜しまれるから地名となってまで残る。宮城県角田市藤田(字枯松)とかそこには松がありやがて枯れたが地名化して残ったのである。ここから植松を通りイオンのショッピングセンタ-で買物した。途中の住宅地に三色の冬薔薇が咲く瀟洒な家があった。これは家と花がマッチしていたので写真にとった。その近くに黒竹と紅葉があった。黒竹ははじめて見た。庭作りに興味をもったので黒竹は利用できると思った。庭は狭すぎるからこの竹を活かすことはむずかしい。竹は竹林にならないと感じがでないからだ。
街からはずれたところにどんよりと冬の雲が停滞している。でも街からはずれたというときかえって中心街が寂れている時代である。駅から遠くても今は中心からはずれているとはならない、車時代だからかえって郊外のス-パ-などに人が集る時代である。だからこの句も時代的にあわなくなる。駅から離れている中心通りから離れている、車の時代は全く中心から離れていても影響されないのだ。郊外に店は広がるという時代である。これも矛盾しているといえばそうなのだが車がそういう社会を作ったのである。電動自転車でも便利さを感じたから一旦こうした便利な機械を利用したらもう手放せない、電動自転車でさえその威力を感じたからである。

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