2009年12月22日

茶の心への回帰


茶の心への回帰



茶を飲みて石に通じる冬の暮

茶を飲みて東洋の心に帰るかな

冬の日に寂けさ味わう茶の心


最近茶道に興味をもったのは庭をリホ-ムして茶室みたいなものを考案したことである。庭と茶道は密接に関係していたのだ。山居を庭に作るのが茶室だった。市中にあっても山居の趣きを作る。岡倉天心が「茶の本」を出して東洋の日本の心を伝えようとしたこともそれなりに茶道には文化の神髄のようなものがあったからこそである。最近気づいたのだけどコ-ヒ-と茶の相違は何か?その味にあった。これは根本的に違っている。これほど違っているものもない、紅茶とも違っている。紅茶もイギリスの文化となったごとくモ-ニングティ-としてイギリスの文化となったごとく飲み物も単なる飲み物ではない、文化なのである。ただ喉をうるおすなら動物である。


不思議なのは動物は人間が飲んでいるように無数の味のついたジュ-スなど飲まないという、水しか飲まないということは動物は老子のように無味を味わう、純粋な水こそ最良の自然そのもの味として飲んでいる。茶道となると抹茶だから普通の茶とはさらにその味が違っているのだ。ただ日常的に茶を飲む習慣は日本人にあり抹茶を飲むとなると普通の人にはない、茶道は意外と一般的ではない、特殊な人の趣味となっている。茶道の作法を知るには相当な年期が必要になるしそうした場も必要である。すると一般の人はなかなかなじめないとなる。自分もほとんどわからない。何か日本の文化といってもなじめない、別な世界のものに感じているのも茶道が日本の文化だというのももう一つ日本人そのものがぴんとこないのである。


『経国集』(天長四・827年)には、嵯峨天皇の宮女が「出雲臣太守の茶歌に和す」として詠んだ漢詩があります。
山中の茗、早春の枝。萌芽を摘み採って茶とする時。山傍の老は愛でて宝となし。独り金鑪に対い炙(あぶ)り燥(かわ)かしむ


827年にすでに茶について語られている。いかに茶の歴史が古いかあらためて知る。それだけ奥深いのである。茗は小さくてよく見えない芽という意味・・・山傍の老は愛でて宝となし・・とあるごとく茶はやはりこんな昔から老人にあうものとしてあった。ここで自ら茶となるものを採取して茶を作って飲んだ。その味わいは買って茶を飲むより一段と味わい深いものとなる。それにしても天皇の宮女となるとこれだけの教養があった。今天皇に仕えてこれだけの漢詩を作れる女性などいない、天皇自身も作れない、天皇自体が今や日本の文化を体現していないのである。昭和天皇は和歌がうまかったから最後に日本文化をプラスにしろマイナスにしろ体現した人だったかもしれない、天皇は権力者ではない、日本の文化の頂点に立つ人としての権威だったのである。

なつかしき冬の朝かな。
湯をのめば、
湯気がやはらかに顔にかかれり 石川啄木


お茶は冬にあっている。寒いとき湯気だたちそれがなんともいえず冬らしい。特に冬の朝にあっている。今の時代、八十才でもコ-ヒ-党の人はかなりいる。コ-ヒ-にはコ-ヒ-の良さがあり味がある。コ-ヒ-は街の中の喫茶店とかでケ-キを食べながら飲むのにあっている。ヨ-ロッパの社交となると庭でも全く日本とは違っている。庭というより大勢の人が集う場である。あまりにも広いから日本の庭の感覚とはあまりにも違いとまどってしまう。日本の茶道は対話的であり少人数向きであり庭にしても狭いから何か茶室も禅のように社交というよりは悟りを得るためのようなものと通じている。茶が薬であり僧からもたらされたことでもわかる。コ-ヒ-にはカフィンが入っていて脳を興奮させるものがあるが茶には脳を静める作用がある。その味があまりにも違っている。

炬燵入り茶を飲みつつも石を見て亡き人語る年の暮かな(自作)

茶はやはり畳の上で庭の石などを見て飲むのがつくづくあっている。故人を語るときもコ-ヒ-よりは茶の方があっている。文化は総合的なものとするとき日本の庭や畳の部屋や木の家とか障子とか和合して存在する。今は文化が混合しているから本当の純粋の文化は喪失した。今の時代東洋とか国風文化へと回帰する心がまた起きている。明治維新には西欧文化に対抗するものとして岡倉天心などが「茶の本」を書いたのだが欧米文化一辺倒になって日本人は疲れた。それでまた東洋へ国風文化へと回帰してゆく。

日本は十分に過剰に欧米の文化に服した。そのあとにまた東洋へ国風文化への回帰が起きる。特に老人になるとどうしてもコ-ヒ-党もいいが茶への回帰も起きてくる。やっぱりお茶もいいなとなる。お茶の渋さは石と通じている。日本の庭がいかに石に意味を見出そうとしているか如実に示している。竜安寺の石にしても外国人が見ても何の意味があるのかわからないだろう。有名な庭だけではない、庭にはそれぞれ必ず個性があるのだ。だから庭はわかりにくい、外から見えないしわかりにくい、鑑賞するにも時間がかかりわからない、だから庭は盲点となっている。石というのも単純なものだが個性がありこれも時間をかけないと鑑賞できない、石には明らかにそれぞれ表情があるのだ。その表情をくみとることが簡単にできないのである。お茶と石は通じるものがあるがコ-ヒ-や紅茶はあわないのだ。やはり茶碗で抹茶を飲みその渋さ苦みを味わい文化に通じる。抹茶でないにしろ茶を飲むこととコ-ヒ-を飲むことはその味の違いがそもそも相当な文化の差となっているのだ。ただどちらにしろコ-ヒ-も茶もあたためて飲むとき味わいがあるから冬にあっている。イギリスのような寒いところでスリランカとかでとれた紅茶が文化となったごとく寒いところで文化になった。それは共通しているのだ。

一服の茶をたて別る冬に入る

winter come
a cup of japanese tea
parting man


茶室に逢い飛び石踏みて帰る人我が思うかな年も暮れにき


茶道は集団的ではない、組織的ではない、個と個が対することにある。集団化組織化した現代の大衆文化とは相いれないものがある。庶民的にはただ茶を飲み安らぐものだが抹茶を飲むとなるとそれは大衆的ではない、選ばれたものが入りえる世界である。にじり口から入るとなるとそれは侍も商人も分け隔てなくするもの平等にするものとあるがそこは実際は選ばれたものしか招かれたものしか入れない狭い入り口なのである。実際に東北などでは茶室をもっていたりするのはまれであり親しむ機会も少ない、それは秘密の世界になっているのだ。ただ実際に作法など知らなくても茶の心は日本文化だから日本人なら思想的にどういうものか察知できるのである。
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