2009年12月24日

相馬市成田の五郎右ェ門橋の由来

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相馬市成田の五郎右ェ門橋の由来


水主-五郎右ェ門と尾浜村の松川寺の人別帳に記されている。五郎右ェ門橋とは間違いなくここからきている。ここは尾浜村の五郎右ェ門が開墾した田がありその後橋がかかりその名がついた。松川では塩場とあり塩を作り魚をとり田畑を耕していた。川船も持っていた。ただ人を養うのには田畑を増やすことでありそれで成田の方に開墾地を求めてきてここに田を作ったのでその名が残った。海の方の漁村から平地の方へ開墾して田を作る人もいた。今田も新しく開いた今の田である。尾浜とか原釜の回りは湿地帯でありそこを田にしたのは原釜や尾浜の漁師もかかわっていた。地理的には成田の方が拓き安いからこっちを選んだのかもしれない、これは資料に明確に記されているから由来は間違いない、この人には姓はないから武士ではない、十一人の大家族だからやはり田を新しく開くことで家族を養おうとしたのだろう。人の名前が地名化するときはよほどその人の貢献が大きかったはずである。だから名前が残ったのである。橋を作ったからとか橋だけからこの地名が起こった思えないからだ。

posted by 天華 at 00:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代
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