丸森
「竹の内」は「館(たて)の内」がなまった地名として、城館跡に時々見かけられるものである
武(竹)城について
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弘化5年(嘉永元年・1848)である。一月早々、勘定組頭の竹内清太郎氏と面談した池田家老から「二宮氏の仕法が民間に益あることは一通りではない。自分も是非これを聞きたい。代官出府の節は自分からもよく話し合おう。なお富田には自分も面会したい。何時にても罷り越されるよう」という竹内氏の言葉を聞かされた。(日記・書簡2)
相馬藩政期
他に標葉郷軍者の武内殿・・・・とあるとき武内は竹内が変化したものである。竹内の姓は竹の内がありその地名をとって竹内とした。鹿島区の塩崎の大岩は地名としてあり越中から移ってきてもその大岩を姓としたのかもしれない、その土地の名を名乗ることがよくある。相馬氏は移住しても相馬という地名をこの地につけていないのだ。中村・・・となのる人はいた。中村は村の名だからそうなった。黒木というのも地名として先にありその地名を姓とする武家がいたのである。いづれにしろ竹内の姓の起こりは竹の内にあることは間違いない、竹内氏が移住して地名となったのではない、前から竹の内という地名がありその土地の名を姓としたのである。
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