2009年12月29日

年の暮(故郷の墓地をめぐる)

 

高台の川子の墓地の寒さかな

故郷の墓をめぐりて年の暮

街空を烏帰るや年の暮

 

電動自転車だから原町へ最近何回も買物にゆく、そこで川子村の坂を上る、ここは結構な坂なのである。そこに墓地がある。こうした高台にある墓地は目立つ、でも町の中にある墓地や大きな市営の区画化された墓地とは違っている。在の墓地は何か墓地自体に一体感がある。実際に一つの姓から分家して同じ姓の墓があり一体感がある。だから村の墓を見るときは同じ姓があるときこれは分家した墓だとわかる。その姓を中心にして村が作られてきたこともわかる。
成田の竹内とか栃窪の大谷とかがそうであり写真に撮って出した。在ではまた本当に町や街とは違いまだ村としての結束がある。だから介護でも人の出入りが多く助け合っているというのはそのためだろう。ただだから逆にそうした古い村となるとよそ者は入りにくいとなる。寒いというほどではないが寒さがその墓にしみいるように街の墓地とは違って一体感があった。墓地は場所によってかなり性格の違ったものとなる。宗教団体の墓地などは組織化したものでありその土地とは関係ない所を開発して作られたから問題になった。その土地にとってはよそ者であり異様なものとなっていたからだ。その数も多いから困るものだった。そして墓地は簡単に一旦作ったら壊すことができないのが問題だったのである。つまり墓地も現代の人間模様を反映したものなのである。 墓地と土地は結びついたものである。都会だと墓苑を遠い場所に作るから土地と墓地は結びつかない、そういうものは不自然である。都会では何でも不自然なものになるのだ。そもそも自然と離れた生活をしているのだから墓も不自然なものとなってしまうのである。ともかく郷土史研究には墓地をみることがかかせない、それで墓地めぐりをずいぶんしたのである。

 

街空というとき原町で買物したからそうなる。ここは5万くらいの都市だから違っている。空を見たら夕暮れ烏が群れをなして帰ってゆく 、いかにも街の風景である。でもすぐ回りは田んぼなのである。とにかく今年も終わりだ。何か知らないけど「花の雲鐘は上野か浅草か(背景を読む)」のキジに600とかの今アクセスがある。こんなに一つの記事にアクセスがあることはなかった。特に俳句関係ではなかった。キ-ワ-ドできている。年の暮でここに集中したのか?どこかにリンクされたためか、キ-ワ-ドで大量にアクセスしている。いつも読まれているのが「古池や蛙とびこむ水の音の意味」の記事である。これらは常時何人かに読まれているのだ。ただこんなに一つの記事に読まれたことはない、認知症関係ではあったが俳句関係ではない、でもいづれまたアクセスはへる、平均して「相馬郷土史研究」とあわせて200ら250は変わらないのだ。
アクセスふえてどうなるのか?プログも4年間くらいやっているけど何の意味があるのか?
金にもならないしただ作品を発表できるだけというだけである。やはり多少でも金になればやる気もでるということがある。何であれ金になるということは社会に今では認められたことになるからだ。

なんだかんだいっても来年もまた書き続けていることはまちがいない、書くことによって自らを啓発している、創作しているからである。人間は創作する生き物である。何かを創造せずにはいられない、書くということは何であれその人なりのものを出しているのだ。それは福祉関係や若者が新しく農業をはじめた経験を買いていることでもそうである。そういう人はやはり実地の経験から書いているから訴えるものがある。実際に経験したことを書くことは何であれ訴えるのである。そして人間の経験する範囲は非常に狭いからそうした人のプログを読んで仕事とはそういうものかと理解するのである。人間社会が仕事から成りたたっているときそれぞれの仕事を理解しないと社会を理解することはむずかしい。それがなかなかできない、多少インタ-ネットでは仕事の理解は深まるので有益なのである。

 

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