キ-ボ-ド打つ手の寒く夜の更けぬ
我が家に手伝いに通ふ女ありて石に葉牡丹氷張るかも
寒風の中を帰れる手伝いの女(ヒト)を見送り今日も暮れにき
山上に炭焼きの烟紙漉や昔の暮らし寒さ身にしむ
お手伝いさんとかヘルパ-とかが最近使う人が増えているだろう。家事すらもちょっと手伝ってもらうと楽になる。女中と昔は言っていて必ず金持ちの家では雇っていたのだ。電化されていないから掃除、洗濯、料理でもそれが一仕事だったからである。江戸時代に女中であった。
武家の女中とか奉公人とか足軽とかいたが身分が明確であり主人に仕える人、使われ人は言葉使いから違っていたし住む場所も違っていた。武家屋敷の奉公人や女中が住んでいる部屋へ入ると一段と低くなっていた。暮らしも別々だった。食べるものも違っていた。今は別に暮らしでも食べるものはそれほど差がない、何かあったらいいものでも分けてやったりしてしいる。別にそうしなくても住居には差があっても食べ物にそれほど差はないのだ。毎日家にちょっとの時間でも来てくれると何か頼もしいと感じる。それでわかったけど一人暮らしでも家族が少なくてもお手伝いさんとかヘルパ-とか雇っていると孤立しない、共同生活みたいになってくる。南相馬市長選挙の立候補者がグル-プリビングのことを言っていたけどそういうのも模索する必要が出てきている。ただ家に仕えるとなると家には必ず家の歴史がありその中に入るということもある。そこが新たに共同生活するのとは違っている。
それにししても寒い、車だと見送るということがない、歩きだとか自転車だと見送るということがある。車だと何かキレてしまうのだ。別れるときでもその人を見ている。遠くに消えるまで惜しんで見ていた。それは茶の湯の出会いと別れでもあった。車で来て車で帰ったりすると茶の湯の心もわからないような気がする。寒いというとき相馬市の山上とかなるとそこでも炭焼きと紙漉の仕事があった。紙漉きは冬の寒いとき冷たい水で紙漉きをするから冬の風物詩だった。今年は寒いから昔はこんな寒いとき紙漉きしていたんだなとか実感がこもる。紙漉沢と名前が残っているがこれは寒いとき一段と感じる名前だったのである。昔は自給自足だからこそかえって自分の暮らしに誇りをもっていた。炭焼きしていれば山の中でも食べていけるという自負があった。それがなくなったとき、無駄な公共事業で都会の人の税金で生活しているとか批判されるようになったのである。だから現代の経済は全体に歪んでいる、自然ではない、不調和なのである。それは大都会だって歪んでいるのだ。やはり自然に則した生活から離れた結果こうなったのである。
今部屋をエアコンであたためていない、二酸化炭素で空気が悪くなり頭痛くなるからだ。
「風流は寒きものなり」というとき、やはり寒いからこそ感じるものが失われる。寒いからこそ紙漉きのことが心にしみるのだ。でも食器洗うにしてもお湯を今は使っているから霜焼けにならないから楽である。キ-ボ-ド打つのも手がちょっと痛くなっている。これくらいはたいしたことはないが寒いとそれなりにいろいろ苦しいこともでてくるのだ。寒さが苦手なので暑い所に移住したいともなるが季節の変化がなくなるのでどうかなと思う。
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