2010年01月15日

冬の暮(原町の路地裏)

stoneclose1.jpg
gateblack.jpg


冬の日や蔵に眠れる宝かな


色違う五つの石や冬の暮

原町の路地裏行くや冬の暮

冬の暮原町村の昔かな

冬の灯やここまた通る裏の道

原町は原町村であり淋しい宿場町から発展したのである。大町とかは原野だったのだろう。残された絵を見ると本当に街道沿いに家が並びそこだけが家がある淋しい宿場町だったのである。野馬追いにも一つの家しかでていない、明治以降鉄道ができて急速に発展したのである。
この黒門のあるところは何なのか?本町の辺りであり何かの記念なのか、何か謂われがあるのかただ石を並べるだけで落ち着く、石には心を鎮める作用があるのだ。庭作りはこると手間がかかる。でもこれでは芸がなさすぎる感じもする。砂利でも小石でも並べたりすればいいだろう。下をコンクリ-トにしたから何か石を展示するだけのようになった。石屋かと思った。黒門は何なのか?何か意味があるのか、それなりにここに石を置いただけでやはり何か効果がでてくる。


原町には路地が多い、そこにこうした石を置くだけで路地にも魅力が出てくる。ス-パ-とか大通りだけに街の魅力があるのではない、路地裏にもある。そこに歴史的謂われがあればもっとよいとなる。路地裏とか街道沿いは人間的なのである。人間の匂いがする、義理と人情の世界である。だから一杯飲み屋とかがあっているのである。つまり街でも村でもその場にあったものがあれば生きてくるのである。

江刺市でも蔵の街として街作りをしようとしている。NHKで写していた。嫁に来て50年とかいう女性が蔵を案内した。そこには思い出の品がつまっていた。蔵とはそうした思い出のものが貯えられた場所である。実用的なものとしては防火とか金庫の役割も果たしていた。今になると思い出の品物をしまっておく場所である。旧家だと江戸時代の宝物、資料などがでてくるから郷土史発掘の場所となっている。つくづく嫁とは女-家であり女性は家と一体化する。だから施設に入ってもそこには家がない、暮らした家の思い出がないから家に帰りたいとなるのだ。認知症になっても思い出の家に住んでいれば症状も和らぐことがありうる。施設ではそうした記憶と一体化していないから回想してもなかなか記憶が蘇らないということがある。女性は家が家族が暮らしの中心であり仕事は男である。田に力はやはり仕事のことである。女性にも仕事に向いた人もいるが一般的には家庭の中でこそ女性の資質は生きる。それがなくなるとき生きがいが喪失するのである。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/34760613

この記事へのトラックバック