2010年01月23日

冬の短歌十首(風花の飯館村)

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大石に重なる石や冬深む


風花や大石眠るひそけかり

土盛れる墓の五つつや冬芒

誰が眠る松風鳴りて残る雪

飯館の溜め池はみな凍るかな

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川上に残れる雪や朝清し巌の静か鳥飛びたちぬ

飯館に蛹一つのあわれかな風花舞いて池の凍れる

池凍り蛹一つや松風の鳴りて残れる雪に暮れにき

池凍り松一本やここにあり道はつづきてしばしとどまる

飯館に夕暮れ迫り奥の峰雪ふりこめて隠さるるかも

飯館に喫茶店一つ我が寄れば風花静か舞いつつ暮れぬ

飯館の喫茶店に入り焼きたてのパンを食しぬ冬のくれかな

清水汲みコ-ヒ-を沸かし我が飲みぬ雪の残れる流れの岸に

雪雲の厚く垂れこむ飯館や飢饉の碑のここに残れる

使用人もともに眠りぬ墓一つ飯館静か冬深まりぬ

山陰に雪の残れるこの道を行く人一人街にいでにき




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電動自転車で大倉に出て飯館の七曲りの道を上り草野に直接出た。あれだけの坂を上ったからかなり電池を消耗した。でも飯館まではなんとかもった。ヤマハのパスブレイスは一番いいのはさほど疲れず遠出できることなのだ。半分バイクになっているからだ。途中もゆっくり人間的ペ-スで行けるのもいい。飯館はやはり標高が相当高いから寒い、一時雪がふり厚く雪雲たれこめていた。でもここもそんなに雪は降っていなかった。雪は溶けたのか?わずかに残っているだけだった。飯館では寄るところは決まっている。アグリという喫茶店で焼きたてのパンを食べる、あのパンはおいしい、次に道の駅の物産店によりキコリのホテルによる。あそこは高いから眺めがいい、遠くの峰が雪にふりこめられて隠された。やはり飯館からさらに西になると雪が降っているのだ。浜通りの方に帰って来たら雲は切れて明るい空が広がっていたからだ。


ともかく一本の松があそこでも必ず立っていて親近感をもつ、それから山の陰には雪が残っていたがそこを
出たらすぐ街になる。街といっても街という感じはしない、でもス-パ-などがあるから一応街なのである。
飯館は石の村とかなっているが確かに石が多いのかもしれない、あいのさわの近くの大きな石は目立つ、一つだけ大きな石がありあの石は特徴がある。その石を中心にして石が重なっている。飯館村というと実際何もないが何かここは広々としていることが気持ちよさを作り出しているのだ。窮屈ではない、家も点々と広々として悠々として住んでいる。他から来た人もそう言っていたから何もないのだが広々としていることが特徴なのである。川俣辺りは何か窮屈な土地なのである。

何も見るものがないからまた墓を見て歩く、飯館で江戸時代の墓をまだ見つけていない、飯館に古いものを見つけるのはむずかしいのか?葛尾村では明暦と元禄の墓を見つけたから意外だった。飯館ではまだ見つけていない、ただ一つの墓の前に名前だけを記された道標がいくつも埋まっているのを見た。これは使用人だと思った。家族だったらそんなに埋め方しない、昔は使用人も家族のように一緒に仕事して墓もその使用人の家の墓に葬られたということがありうる。大家族制でありその中には使用人も入っていたのである。現代だと搾取されていたとかこき使われたとか言うがともかく墓まで一緒だということは使用人でも因縁が深くなっているのだ。近代的会社ではそういうことはありえない、江戸時代から明治までそういう大家族の拡張したような家で働いていたのが多かった。それは商家でもそうである。それは今にはない人情のある、人間的な社会だったともなる。派遣とか何とか今は人情などない、あまりにも経済合理性だけの乾いた殺伐とした社会である。だからこそそうしたものをふりかえり見直すことも必要なのである。
いづれにし飯館はやはり飯館村として合併しないで残った方が良かったのかもしれない、南相馬市と合併すると南相馬市飯館区となるのでめんどうになるし小高区鹿島区ではいいことなかったとか、原町にいいところはみんなもっていかれたとか不満となったから飯館村は残った方が良かったのかもしれない、ただもし南相馬市と合併していれば市長選挙も一緒になるから一体感はやはり生まれたのである。
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