2010年02月12日

白鳥(優れた作品どうしてできる?)



新しく積もりし雪を踏みにつつ白鳥によれば夜しきり鳴く

しんしんと今日またつもる雪の夜や白鳥思いいねにけるかも

白鳥に魅せらるるかも絶えずして我が心よす他は見じかも

白鳥にはヨ-ロッパの湖にもにあうし魅了される。白鳥は純白であり聖なる鳥なのである。醜い人間を思ったらただ悲惨である。最近認知症の家族をかかえてから人間の醜い面をまざまざとみて翻弄されつづけてきたから余計そうである。すでに四年くらいたっているから結構長い、それでも月日がたつのは早い、いつのまにかプログを書き始めてから5年近くすぎていたのだ。
ホ-ムペ-ジを始めたのは2000年だからすでに10年はすぎているのだ。これもいつのまにかに過ぎた。その間につくづくひたすら反応もなく書き続けた。書くことに魅了されて書き続けた。これだけ書ける場など誰も与えてくれないのである。自分をいくらでも表現できることはインタ-ネットの強みである。雑誌にしたってわずかしかのせられない、個人で発表することも大変である。インタ-ネットは発表すること自体は簡単であり何の苦労もないのである。ただそのあと評価とか反応を得ることは本当にむずかしい。インタ-ネットでは誰が認めるのか、評価するのかということが問題である。目安はアクセス数だけになってしまう。でも毎日感じたことを書けるのはインタ-ネットしかない、それもプログが一番便利なのである。一つ一つの記事が読まれたかある程度判断できるからだ。トップペ-ジからくるとわからないのは問題だが平均して何が読まれているかわかる場合がある。これはホ-ムペ-ジではなかなかむずかしい。ともかくずいぶん書いてきたものである。途中認知症関係が多くなり読む方も書く方も混乱したがやむをえなかった。

これまで書いたものをやはりまた編集して整理する必要が出てきたのだ。インタ-ネットではプログで書いたものが一部消失して復元できなくなったように消える危険があった。ホ-ムペ-ジは消えにくいがプログが危険である。前も一度全部サ-バ-で消えたことがあったのだ。どうして
urlから記事が出てこないのか?こちらの落ち度なのか、記事が消えるということはありうることだった。とにかく10年書き続けたのだ、書いたものをもう一度整理する必要が出てきた。

いい詩をいい句や他にいい芸術作品を作るにはどういう方法があるのか?結局天才でないとだめなのか、凡人はあきらめるほかないのか?そうでもない、自分の記事を読んでいれば凡人でもそれなりのものに到達する秘訣が書いてある。俳句は全く才能無視の写生に心がけよであるなど、自分は全くあらゆる点で天才的なもの才能がない、それでも60すぎていいものができたような気がするし自分のようなものでもできるのかと我ながら感心しているのは不思議である。

20代であれ俳句とか短歌で何らいいものを作っていない、でも一つか二つはあったかもしれないが余りにも幼稚でありだから誰も認められるようなものではない、結局芸術は天才でない限り
年数がかかるのだ。いいものを作る秘訣はこの世の汚れに染まらないことが一番肝心なのである。ひたすら純粋を目指して身辺も純粋であること、汚れないよう努力することなのだ。世の汚れというときそれはいろいろある。女性で汚れてゆく人もいるし金で汚れてゆくこともあるし名声を求めて汚れてゆくこともある。余りにも汚されるものがこの世には多すぎるのだ。結局才能がどうのこうのよりそうした世の汚れに染まるためにだめにしてしまうのである。才能がなくても世の汚れに染まらないなら凡人でも本当の美を神が創造した美を知ることができるのだ。

汚れを清める雪のなか白鳥は一目見たら誰でもその美に感じるがさらに深く感じるには常にその美を思い一心に心を寄せて思うことなのである。そうすれば才能がなくても白鳥と美と一体化するのである。その時いい作品が自ずと生まれるのである。それは才能ではない、純粋さを保つ集中力である。でも実際はくだらない低俗なものに目を奪われるから遂に本当の美を見ずに終わるのである。低俗というとき芸術を創造する場にも入り込んでくる。低俗なものが宗教でもカルトのように一番強い力、権力をもっているからだ。芸術の世界もまた権力が左右することがあるのだ。それがこの世なのである。
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