雪の朝黒々固まる烏かな
何を食う雪食む烏朝明けぬ
雪に鳥浪のひびくや朝の海
松が枝に雪の重さやひびく浪
松が枝の雪にたわむや蔵一つ
喜多方に蔵のいくつもそちこちに積まれし雪や冬の長しも
俳句はまず写生である。これらもただ写生しただけである。この辺ではこうして雪が積もることがめったにない、だから雪の中を自転車で海まで行ってきた。雪景色はめったに見れない、会津とか雪国では雪の中で暮らしているからうんざりしているけどここでは雪は新鮮なのである。この雪は山では相当つもった。山の方があんなに白くなるのはあまり見たことがない、海も松原もこんなに雪になることはない、めずらしいから写真にとっておいた。
松が枝→雪にたわそ→蔵一つ・・・・これも何かここで考えない、作らない・・見たままなのである。こういう光景は蔵の街の喜多方などではいつでも見ている。ここではめったに見れないからめずらしいのだ。浜通りには雪の情緒はない、雪国の情緒はない、雪国には独特の情緒が作られた。ただそれも他からはわかりにくい、それも地域的奥深い文化なのである。福島県では会津は一つの別な国なのである。会津の城は最初は黒い城だった。それが江戸城をまねて白壁の白い城になった。黒い城の方が感覚的には良かった。山国と雪国にあっていた。とにかく会津の地理はわかりにくい、会津を知るならどうしても冬を雪の世界を知らないとわからない、だから一冬でもここで過ごせばわかるのである。浜通りは関東と気候はさほど変わらないから同じである。会津のようなところは雪を知らないと理解できないのである。
烏が一段と黒く目立ったのが今日の朝だった。実際に雪でも食うしかないような雪景色だった。烏が本当に黒いと自らも意識したかもしれない、確かにこれだけ雪がつもれば雪一色になれば黒さらに黒くなる。
喜多方は蔵の喫茶店がいい、会津は城だけど喜多方は蔵である。最近何か会津も遠い、会津は日帰りとなるとやはり遠い、なぜこんなに近くても行けないのか未だに納得がいかない、余りにも自由だったからそのギャップが大きいのである。人間は今までの暮らしとか価値観ががらっと変わると簡単には適合できないのである。
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選び削除しますのであしからず