

東北でも地理的感覚は平面地図のようにならない、距離感覚でも違っている。
地理の感覚は地図どおりにはならない、それは現しようがない、これも一つの
コンピュタ-ソフトでアレンジして偶然にできたがこれも地理感覚の表現である。
相馬より会津へ (白河街道-詩と文)
太平洋望む浜通り
阿武隈山地のさえぎりて
中通りに出て会津は遠しも
歴史を秘めて雪に埋もれぬ
七層の黒川城の威容かな
奥深き会津山国の城
歴史はここに積み重なり
代々の藩主はここに眠りぬ
その奔騰する川の流れや
迫る峰々隆々として険し
断崖絶壁にひびきわたれり
鬼百合こそここに熱く燃えて咲け
会津に入り福良の蔵の宿
茅葺きの家並み残り菖蒲咲き
猪苗代湖波うちひびきあわれ
境の松の枝の長々と垂れにける
関所もあれ勢至峠や秋の一部落
殿様清水にその名残や偲ぶ
一面に月見草咲き家まれに
道は郡山へつづきけるかな
遥なり残雪の飯豊連峰
桐の花咲き雨しとと墓所ぬれぬ
藍色の猪苗代湖に秀峰磐梯山
我が望みつ相馬に去りぬれ
阿武隈山地を我が越え行けば
太平洋の海の風そよぎ涼しも
船も行くかな松島牡鹿半島へ
伊達政宗は海を望み想いは外国(とつくに)へ
蒲生氏郷が最初に築いたという黒川城は七層の黒い城だった。あとで江戸城の城をまねて白壁の城になった。最初の七層の城の方が山国、雪国ににあう威容のある城だった。七層となると今より高いからそうなるし黒いということがいかにも奥深い山国に来た感じになる。
勢至峠から福良で蔵の宿に泊まったことがある。猪苗代湖の岸辺の道を行きそこに松の枝が長々と垂れていてそれは境の松でありいかにもふさわしい松である。今は会津に行くのに福良の方をまわる人はいない、だからこちらは取り残されたようになっている。ただ昔を偲び旅をするのにはこっちがいいとなる。秋の日磐梯山の山影がここに伸びてくる。その時まだ宿場町にふさわしく茅葺きの家が通りに何軒かあったものさびた町である。昔を偲ぶにはこの街道を行かないとわからない、秀吉もこの道を行き会津若松に出た。
自転車で行ったから延々とつづく街道の記憶が残りこうして詩に書ける。福島県の地理は浜通り、中通り、会津と別れている。浜通りからすると会津はかなり遠い、それはまず阿武隈山地が障壁となってさえぎるからである。まず中通りまで出るのが容易ではない、中通りから出てまた遠い、電車で行くと岩沼から郡山に出て会津になるがこれも乗り換えがあるからめんどうになる。それより昔はどうしても阿武隈山地を越えないと会津には行けないからその行程は遠いのである。阿武隈山地と中通りでは気候もかなり違う、福島市は盆地であり冬は寒く夏は蒸し風呂のようになる。それがはっきりはわかるのは阿武隈山地を越えてゆくとき涼しい風が太平洋から吹いてきたときだった。自転車だから歩いて坂を越えるから特にその風には救われた感じがした。涼風は太平洋から吹いてくる。ここで気候が変わるのだ。
浜通りと会津はこのように隔絶されているのだ。だから地理的には宮城県までの海沿いを通じて塩釜や松島、牡鹿半島に結びつくのである。相馬藩にいかに宮城県関係の神々が勧請されていたことでもわかる。館腰という駅名があるがあれも神社であり相馬にもあった。宮城県のそうした神社に相馬からお参りに行っていた。山神も多いが小牛田神もそうである。船で塩釜の寒風沢に行き来した記録も残っている。金華山の碑もある。会津の方からそうした神々はもちこまれない、それだけ交流が少なかったのである。ただ木こりとか茅葺きの屋根葺きとか出稼ぎで来ていて住み着いた人も記録として残っている。やはり会津藩との交流は地理的に隔絶されているから少ないのである。
人間はやはり自分の住んでいる地点がコンパスの中心になる。自分の住んでいる場所から世界をみる、相馬から磐城、中通り、会津、宮城県の仙台、塩釜、松島・・・と見るのである。それでもこれだけの視野をもつこと自体、江戸時代だったらむずかしいことになる。庶民は会津などに行くこともない、宮城県にはお参りで行っても会津までは行かない、だからその地理感覚は狭いのである。もちろん伊達政宗のようにスペインまでその視野を拡大化したことはあった。東北では例外的なことだった。これだけ交通が発達しても日本は山国だからその地理がわかりにくいのだ。会津は特に山国だからわかりにくい、峠また峠である。山が障壁となり閉ざされた国が大和(やまと)の国なのである。
猪苗代湖や会津街道の御前桜などの詩
http://www.musubu.jp/sakuranewpage2.htm
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