団塊の世代が生まれ育った時代
団塊の世代が生まれたときは戦争が終わり男たちが帰ってきた結果として子供が大量生産された。貧乏人の子だくさんというか戦前からつづいていた延長だったのか?焼け野原から子供が大量生産された不思議がある。今は豊になりいくら不景気だから言って戦争直後は食料さえなかった。私の父親はミルクをもらうために長い行列に並んでいたとか食料を手に入れることが大変だった。要するにモノは何もない焼け野原から戦後ははじまったのだ。
戦争で失われた、たくさんの命。
それを補うかのように生まれてきたのが、団塊の世代。
戦争は終わった。その補いとして人口をふやしたのは自然の摂理だったのだろう。同じ世代の女性と話したらあの当時のことがそれぞれ違ったものとして体験している。その女性は農家であり5人姉妹であった。その末っ子であった。それでミルクを買っていたのではなく母親が乳が出ないからと親戚の女性に乳をもらっていたという、こんなこともあったのかと思ったがこういうことは昔から良くあったのだ。乳母(めのと)というのが武家には必ずいた。これは実際に母親が乳が出ないというのではなく武家一族郎党と結束を固めるために敢えてそうさせた。なぜならそうすればその武家の一族が家族のようになるからだ。その子供にしても乳母は母代わりになっているからだ。そうでなくても大家族制だったら庶民でも乳母役になる女性はいたのである。ミルクは買えないからそうなったのだ。学校の給食は脱脂粉乳だった。これで吐き気をしたことがあった。これはひどいものだったのだ。
脱脂粉乳について
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1997280.html
団塊の世代はすでに60以上であり若い人が昔話ばかりしているとなじっているが60以上になればみなそうなるし今までもそうである。でも団塊の世代はまだ社会で権力をもつ立場にいるから昔話ばかりではない堅実の問題に対処しろとなるのかもしれない、60-65くらいまでは今や老人に扱われない、現役の人が多いからだ。団塊の世代は小学生時代まではほとんど戦前の延長であり生活自体そうだった。何故なら燃料は炭だたからだ。これは生活の基本がエネルギ-が炭ということは江戸時代と同じである。炭は山の木で作るから山ととは密接な関係が結ばれていた。山村でも金持ちになるのは炭焼きをしている人であり炭を売る人だったのである。炭焼きをしている人より炭を街に売る人の方が金持ちになったかもしれない、大量に売ればそうなる。炭とか石炭とかがエネルギ-だった。家は裸電球一つくらいしか電気製品はない、葛尾村なんかは電気が通ったのはずっとあとである。裸電球すらなかったのだ。要するに小学生時代までは江戸時代と基本的に変わらない生活があった。
だから小学時代までの経験はかなり貴重であった。あういう経験はもうできない、中学時代辺りから急速に変わっていった。テレビができたときが大きな変わり目だった。高度成長時代に入り田舎からも中学卒業者が金の卵として東京に大量に送られて行った。その時大学に行く人はクラスで数人である。半分は中卒だった。農家で育った人は相当貧乏だったみたいだ。カバンがなくて困ったとかいろいろ不自由なことを言っていた。小学時代はみんな貧乏だった。だから差はなかった。モノがそもそもない時代だからそうなったのだ。ただ中学時代頃から差がでてきた。豊になりはじめた人が出てきたのだ。自分の家も早くから豊になったから中学時代、玉子焼きとか弁当にありうらやましがられた。今思うと立派なカバンも買ってもらったとかそれで隠されたりいたずらされたりすることがわかった。つまりカバンすら満足にもてない人が多かったのである。ただそのあとはみんな高度成長の恩恵を受けて豊になったからそういうことはなくなった。大量の中産階級をもたらしたのが高度成長時代だったのである。玉子焼きが食えないのは玉子がまだ商品化されていない、放し飼いで農家でニワトリがいてもまだ農家では食べていても街の人はそれを買って食べることがまだできていなかった。玉子も食べていないのかとなるが玉子は病人くらいしか食べられない貴重なものでありそれは戦前からの延長でありそうなっていた。「巨人・大鵬・玉子焼き」というとき巨人、大鵬はテレビが普及した結果、人気になったのである。その頃のテレビ熱は凄いものだった。子供のとき相撲でも食い入るようにして見ていたのである。玉子焼きもその時食えるようになったことで食生活が豊になり始めたものとして出てきたのである。
モノがない時代は長かった。もったいな時代は長かった。人類史上モノがあまりモノが捨てられる時代は最近のことである。戦前はさらにモノがない、鉛筆が極端に短くなっても使っていた。そのことはインタ-ネットに出ていた。鉛筆すら満足に使えないしノ-トさえ紙さえ貴重なものだった。モノがない時代か戦前もそうだし戦後も十年くらいはつづいていたのである。子供時代の思い出として屑鉄拾いがありこれは実際に金になった。鉄が不足したのは朝鮮戦争の時であった。戦争のために日本が資材を提供することになったからである。これで好景気のはずみができたのである。 団塊の世代はモノの窮乏時代からはじまりモノを満たすために企業戦士となりがむしゃらに働いたのである。そして今やモノが満たされる時代になった。モノ自体にそれほど価値がない時代になった。そのモノを満たしたことに次代のものはあまり感謝していない、モノがすでに生まれたときあふれていたからモノがあるのが当たり前だから感謝しない、モノでももしモノの窮乏時代だったらモノ自体に感謝して使っているのである。捨てるようなことは江戸時代のようにしない、徹底して紙切れ一枚まで何度も使う、現実、紙漉きは古雑誌とか古紙を材料にして紙漉きをしていたのであり木から紙を作っていたわけではなかった。あらゆるものを無駄にしない徹底したリサイクルが迫られていたのである。
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