冬田の中の石巻線、短歌十首と詩
石巻線佳景山駅や冬の日にとまるもあわれ乗る人まれに
曽波神駅何を意味するまだ知らじ石巻線に冬田広がる
誰が訪ぬ涌谷の城跡冬の日や我が下りずして過ぎにけるかな
小牛田に冬の日つきぬあわれかな栗原電鉄の今はなきかな
相馬には小牛田の碑山神の碑あまたあり冬の日暮れぬ
我が旅の尽きざるけるかな晩年を石巻線や冬の日暮れぬ
みちのくの平泉なお遠しかも冬田広がり我が帰りけるかな
品井沼その名に偲ぶここに来て冬田広がり淋しかりけり
みちのくは広しや冬に束稲山京に知らるを想いて暮れぬ
石巻平泉の間に登米があるがここは行っていない、電車が通っていないと行けない地は相当ある。
ここもだからこの年まで行っていないし行けないのだ。でも芭蕉が石巻から登米を通って平泉に行ったから一度は通ってみたい町でもある。近くでも行けない場所はいくらでもある。車がないとやはりかなり行けない場所が出てくるのだ。石巻線はこれも乗る人が少ないし良く残っていると想う線である。途中の涌谷町は初めて黄金を出したことで奈良に知られた所だから歴史的に古い。でもここを注目している人は少ないしよる人もすくないだろう。涌谷城がありその城跡の石垣が残っている。ここにも城があったのかと改めて想う。石垣が残っているのだからやはり城があったとなる。石垣だけでも残っていればそれなりに昔を偲べるのだ。でもここにも寄ってはいない、めんどうだから通りすぎてしまうだけになる。この石巻線だと一旦下りたらいつまた来るかわからないような線であるからだ。ここの駅も曽波神駅(そばのかみのえき)とかこれも何なのかわからない、佳景山(かけやま)駅はもともと欠け山であり山が欠けている、実際にそういう山があるが名前として良くないので佳景山(かけやま)にしたという。いづれにしろこの線は閑散としている。特に冬だから余計にそう感じた。でもここもみちのくでありみちのくの広さが意識される場所である。みちのくはやはり広大な地域なのである。小牛田は相馬でも小牛田の碑があり山神の碑はここの神様に由来してお参りしていた。宮城県の神様が相馬には碑となってかなり残っている。近いから実際にお参りに来ていたのである。江戸時代から地理的には伊達藩の方に近かったのである。
冬田の中の石巻線
曽波神とは何の神様だ
これも未だわからんな
佳景山とは欠けた山だったと
そんな山しかこの辺にはねえのか
涌谷では黄金がとれていた
奈良の都に知られていた有名な場所だ
それも遠い昔だな
ちょっとでも砂金がでてきたんだってな
ここには涌谷城の石垣が残っている
こんなところにも城あったのか
まだ訪ねたことはねえな
今はただ冬田が広がっているだけだ
小牛田についたな
小牛田は相馬にも碑があるし
山神様でなじみの場所だけどな
ここからでていた栗原電鉄は廃線になった
最後に記念に乗ったのが良かったな
石巻線も廃線になるのか・・・
平泉と言えばまだ遠いな
束稲山は都に知られた山だ
品井沼は大きな沼だった
この辺も昔は広い湿地帯だったな
ここも伊達領になったんだよ
なんだかオレも旅ばかりしていたけど
年とってしまったな
近くでも知らない所がまだまだあるんだよ
一生かかっても行ききれない
そのうち死んでしまう
遂には近くでも見納めになる
石巻線はその頃廃線になっているかもな
廃線となった栗原電鉄
http://www.musubu.jp/jijirailway.htm#kuriharahaisen
【宮城県(仙台−松島など)(俳句、短歌、詩など)の最新記事】
- 宮城県山元町の地名ーかすべ田ー犬塚古墳の..
- 秋の松島ー俳句短歌−写真 (半年ぶ..
- 冬の松島十句(冬の日、冬鴎、冬深む、冬の..
- 飯館村の佐須から石戸村ー石田村を回り霊山..
- 相馬市から霊山町までの地名の旅 (..
- 坂元ー山下の浜街道と鉄道の短歌 (..
- 山元町の地名の解説 (合成地名は本..
- 分去や追分の地名を偲ぶ(丸森ー大張村の詩..
- 川は道となり海も道となり歴史を作る ..
- 角田から丸森へ阿武隈川を行き大張村から梁..
- 丸森の春の金山城ー人間と山が一体化する山..
- 丸森の筆甫(ひっぼ)の桜 (宇多川..
- 仙台市の青葉の季節の写真の絵画化 ..
- 青葉の季節に仙台散策ー錦町から勾当台公園..
- 新地の海の公園から山元町まで自転車で行く..
- 荘厳な森の詩(丸森町の森からイメージされ..
- 丸森町から蔵王と海が見える絶景ポイント ..
- 常磐高速の鹿島のSAで丸森の人の手作り展..
- 丸森短歌十首(森の国で地理がわかりにくい..
- 丸森町の地名と歴史