2010年03月17日

初音

 

町に沿い川のせせらぎ初音かな

悠々と鯉の泳ぎて春日かな

いそいそと春の彼岸入り墓掃除

 

今日は初音を川で聞いた。川の流れの音とともに聞いた。今日はやはり彼岸入だったのか、母が墓掃除したい、彼岸前に墓に行ってみたいというので今日はなんとか行った。でも墓まで歩けなくなっていた。動かずにコタツに入っているだけの日である。でも今日は調子がいいからと墓に行った。今や最後が近づき墓に行くことが勤めであり遂には自らも墓に入ってしまう。
いそいそとするというとき墓に行くことくらいしか行くところがなくなったともいえるのだ。

彼岸などはそもそも仏教の習慣だけどこれは仏教だけではない、一つの日本的習慣となったものだろう。宗教とも言えない、死者を供養する慣習化したものである。こうした習慣は悪いとはいえない、お手伝いさんにちょっと手伝ってもらって墓掃除したり花を買ってきたりしてくれた。その墓を花にささげた。お手伝いさんというこういうことでも死者とかかわるのである。先祖ともかかわっている。嫁ぎ先のことで先祖を供養しないといけないかとかキ-ワ-ドで来ていたがやはり結婚するということは二人だけのことなのだろうか?

家に嫁ぐというのは昔だったがやはりどういう家に嫁ぐかはかなり影響するだろう。家柄とか関係してくるだろう。金持ちである必要はない、かえって金持ちだということは何か悪いことをして金をもうけたということもあるからいいとは限らない、貧しくてもその家はどういう成り立ちで歴史を持っているのかはやはり影響する。先祖供養というよりはその家のことを良く知るということも必要だろう。姑と嫁にしてもやはり嫁も姑に気にいられるとあとはスム-ズにゆく、最初から気にいらないとなると最初からうまくいかないのだから大変だとなる。

ともかく初音はどこで聞くかわからない、田舎だったらやはり自然があるから自然の中で聞くことになる。都会では初音も聞けない、都会では自然の移り変わりをあまり感じない、季節感を感じないということは俳句を作ることなどでは不利である。日本人の美学を作ったのは季節感だからである。

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