街中を流るる川や猫柳相馬の城下や土手を歩みぬ
春の日に耕す人や城近く昔も今も変わらざるかな
東風吹きて相馬の城下旅たてる人もありなむ海の近しも
相馬市と南相馬市の区別は外から来た人には区別がつかない、同じだと思ってしまう。今思うと南相馬市という合併のためにつけられた名前は失敗だったかもしれない、相馬市と昔の原町市は性格が相当違っている。相馬市は城下町であり歴史的に性格づけられた街である。その街も大きなビルなどが街中にはない、だからいつ来ても何か淋しく感じるがそれがしんみりとしていいのだ。城の淀んだお掘りとかも昔を偲ぶのにはいい、でも城を偲ぶといってもわずかに石垣くらいしか残っていないからここでは何かを偲ぶということはむずかしい。ただここに城があったということは変わらない、場所は変わらない、そして回りもれほど変わったということがない、大都会化していないからそんなに変わっていないのだ。今日は春の日に宇多川の土手の下で畑を耕す人がいた。これは昔も同じである。回りは田んぼと畑なのである。
その点昔の原町市の性格は相当違っている。いち早く近代化した街として発展したことが大きな歴史だった。東洋一の無線塔とか立ったのもそのためであり原町市の歴史は近代化した街として発展したのであり相馬市とは違っていた。だから南相馬市となったとき元の相馬の城下中心の街と先祖帰りしてしまったのである。やはり市の名前とかは歴史を知らないと歴史を土台にしないとおかしなものとなってしまう。一見確かに南相馬市とういのはわかりやすいし合理的な名づけ方であり誰も文句も特別言えない民主主義的な多数決で決まったから今もあまり文句を言う人がいない、自分もこれで良かったのかなと思っていた。でもよくよく原町市と相馬市の性格が違っていたのである。そして近代化というのはすでに歴史化していた。すると近代化した原町市という歴史の保存として相馬市とは区別した名前が必要だった。それはやはり原町市という名を残すべきだったのである。相馬市も南相馬市もどこも変わらない、同じだとはなっていなかった。むしろ近代化した街としての原町市の名を残すべきだったのである。南相馬市はわかりやすいにしても結局相馬市の延長のように外部からは見られるからだ。
原町の道の駅ではお江戸日本橋から歩いてきた旅人がいたが相馬の城下にも東風が吹いた。それは海から吹いてきている。それだ今度は相馬から旅立つ人がいてもいい、残念ながら自分は近辺には行くが遠くまでは行けなくなった。でも電動自転車だと近くでも何回も行けるのが違っていた。こんなに何回も近くでも行き来していない、坂があるとなかなか行けなかったのである。
南相馬市原町区で生きた大正生まれのおばあちゃんhttp://musubu2.sblo.jp/article/36526127.html
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