2010年03月21日

浜街道から高瀬川-春の俳句十句

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浜街道から高瀬川-春の俳句十句


ス-パ-常陸六号線や朝雲雀


東風吹くや浜街道ひた走る

巨杉にさえづりひびき岩屋かな

屋敷内梅林の香り尽きぬかな

落椿水に流るや朝の村

石一つ春日を浴びて安らぎ荘

高瀬川激つ流れに椿かな

街道に道標古り春田かな

春の日や道標一つ別れ道

満作や山に年古り山仕事


春日あび大岩一つ動かざれ



鮮やかに蝶蘇る山の奥


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春の小さき道標(みちしるべ)


春の日に浜街道を来たりけり
小さき道標一つ埋もれしや
左 浦尻
右・・・・・
小高なれここに行くことなしも
誘う道や旅心ここにまた起こりぬ
畑にはのどかに耕す人や
しばし寄り道梅は香りぬ
近くにも旅はあれかし
小さき道標心に残りぬ


道祖神(だうそじん)のまねきにあひて取る物手につかず・・・奥の細道にあるようにこれも一つの道祖神なのか、旅というときどうしても車とかバイクの旅は旅にならない、こうした小さな碑を見るには遅いとできないからだ。車とバイクではぶっ飛ばすスピ-ド感を楽しむだけになる。だから現代は旅そのものがむずかしいのだ。今や旅は近くだけだ。近くでもゆっくりと行けばやはり旅になっていた。この道標に右-浦尻となっていた。左は・・川とか読みとれるがわからない、小高はあまりわからない土地である。何が特徴がないからだ。やはり春は旅である。だからここからまた別れ道があり誘われて行きたくなるのだ。


昨日はは本当に春らしい春だった。今日は一転して強風であり唸っている。高瀬川を奥へ奥へと上ると蝶が鮮やかな紋様を見せて飛んでいた。その時ふっと思った。蝶が一段と美しく蘇る・・・人も蘇る・・それも一段と美しく蘇ると・・・最近死んだ身内がいたからそう余計にそう思った。死別した人はなかなか癒されない、死んだ人を忘れられない人が多いのだ。でも人も蘇ることがありうる、蘇るというとき今の体ではだめである。人間は完全な体ではない、老化すると無惨なものになる。そんな体ではだめである。もっと完全な体が欲しいのである。それは来世にかなうかもしれない、あまりにも人間の最後は無惨すぎたのである。ともかく春はどこでも天国の気分になる。

今回は電動自転車で浪江の大堀から高瀬川を上り葛尾村まで行った。ここはやはり遠かった、延々と上りがつづいたがなんとか上りきれた。電動自転車は歩く必要がないから早くつく、ここは前は下るだけだった。でも背中が痛くなったりやはり相当に疲れた。最近いろいろ体の故障がでているから辛いのである。

高瀬川から葛尾村まで春の短歌二十首
http://musubu.sblo.jp/article/36565668.html

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