2010年03月31日

郷土史研究の意義-アイディンティティの基を見直す


郷土史研究の意義-アイディンティティの基を見直す

●空間的地理的認識がアイディンティティの基

大和は国のまほろば たたなづく.青垣 山こもれる 大和しうるわし (古事記).


大和の国の認識は奈良盆地に行けばわかるが回りを囲む青垣山なのである。大和(ヤマト)は極小さな一地域名に過ぎなかった。それが国の名前にまでなった。青垣山というと奈良盆地を囲む山であっても小さくはない、その中の平野は相当に広大なのである。それだけの広い地域を国のまほろばと認識していた。それだけの空間認識があった。そこが自分たちの生きる故郷だという認識があった。村単位で暮らしている人がそれだけの広い空間を故郷と認識していた。これもやはり空間的に認識しやすい場所だったからそうなった。日本では山に閉ざされてさえぎられるから自分たちの国を故郷を一体のものとして空間認識することはむずかしい。だから相馬藩というとどうしても飯館は地理的に隔絶しているから一体として認識しにくく飯館村は独立した村として残ったのである。ハマ、ナカ、アイヅというのは福島県を地理的に空間認識した結果である。空間的地理的認識としてのアイディンティティはそうなる。浜通りは海に面している地域であり中通りと会津が別にある。会津は広大な山国の地域である。別な一国でもあった。相馬藩の地理的空間認識はこれも確かにある。三春とか川俣とかが境になるが山にさえぎられるからこの山の向こうは別な世界、藩だという意識がでてくる。そういう意識は歴史的にも作られてきた。だから江戸時代は境が重要であった。つまり藩中心の生活でありアイディティティの中に生活していたのだ。そういう生活は拘束されているとか狭い中に閉ざされている感覚になるけど人間の基盤は自然村的に作られるのではないか、人間は福島県すら空間的に地理的に認識できないことをみればわかる。福島県ですら認識の範囲を越えているのだ。
日本が比較的空間地理的認識で一体感をもったのは海に囲まれている島国であるから観念的にも一つの国土として認識しやすいからだった。でも内部は山国であり実際は空間的地理的認識がむずかしい国だった。福島県すら空間的地理的に一体感をもてない、他でももてない、だから中国などは余りに広すぎてどうして空間的地理的に一体感が持てるのか?だから万里長城のようなとてつもない国境を自ら作る他なかったのである。それは空間的地理的に作られたものではない、人為的に作られた国境であり空間認識である。


●人間の空間的地理的認識は限定される

江戸時代は藩中心の世界であり世界観が基としてあった。実質的生活も藩中心であり自分のアイディティティをもつことが容易であった。どういう世界に所属しているのか空間的地理的認識として自然に身についたのである。そういう世界に生きることは精神的に安定する。強固なアイディティティの地盤があればそこから人間は一つの世界観を作りやすい、でもそういう世界がないとき人間は混沌(カオス)のなかにほうりこまれて自分のアイディンティティを築くことができない、現代とはまさに経済的にはグロ-バル化しても他国の人と精神的に通じ合っている世界ではない、ただモノを交換しているだけである。アイディンティティは余りにも広いと築くことがむずかしい、中国とかアメリカになるとどうして国民としての自覚がもちえるのだろうかと思う。中国はだから一見大きな国でも一体感がなくまとまりがなく他国にも蹂躙しやすいものとなっていた。アメリカも国としての一体感が薄弱だから絶えず他国として戦争して勝利して一体感を保つということがある。生死をかけて戦争すれば否が応にも一体感が高まるからだ。相馬藩にしても戦国時代もそうだった。伊達に抗い戦うために野馬追いが軍事訓練として行われた。そのことが伊達に支配されずに相馬藩が残ったともいえる。伊達に抗することにより一体感がもてたのである。

日本人のアイディンティティの基礎が村にあった。その無数の姓が村の地名にあったことでもわかる。つまり血縁よりその共に共同する土地と一体化した村にあった。外国では血縁が重視されるのはあまりにも国土が広すぎるということが逆にあった。小さな地域に分化されていればそこでアイディンティティが築きやすいからだ。そして土地とか空間は実質的には変わっていない面が多くなるのだ。人間はその間にめまぐるしく変わっている、血縁もいつまでもつづくわけではない、だから相馬氏として氏から相馬藩の一体感を持っているのは日本ではそんなにない、村からその土地として一体感をアイディンティティをもって生きてきたのである。相馬では相馬野馬追いが継続されているから相馬氏として氏の一体感をもち得たが他ではもちえない、伊達でも伊達氏の一族だと確かにその子孫は思っていてもその住民はそうした意識は喪失している、仙台でも他から入ってきた人が多いからである。

●江戸時代の藩が地理と一体のアイディンティティを作った
今またなぜ地方意識が高まっているのか?江戸時代への回帰が地方分権とかで実質的にも望まれるのか?それは人間の空間地理的認識は限られている、一挙に日本全国を俯瞰するようなことかできない、もちろん地球だったら余計にそうである。人間は狭い限定された範囲でしか物事を本当は認識できない、福島県を一体として認識できていないことでもわかる。福島県だけでもそれだけ広いし複雑だからそうなるのだ。文明は交通の発達でグロ-バル化しても人間が空間認識できる範囲が広がったわけではない、人間は限定された狭い範囲でしか認識できないしアイディンティティも築けない、限定された中で一体感を深めることはできる、でもこれが一挙に拡大化すると認識できなくなる。現代の混乱はここから起きている。アイディンティティとなる基盤の喪失なのだ。そんな狭い中で自分の生活を閉ざしてしまうこと時代遅れているというのも言える。でも東京のような一千万都市のようになったらどうして空間的地理的認識として一体感とかない、アトム(原子)化した世界であり原子爆弾が破裂してもおかしくない状態にある。そういう中で精神の安定を保つこと自体不可能である。「相馬郷土史研究」でいろいろ探求してきたことはやはりそうした混沌化したアイディンティティ喪失の時代に江戸時代に回帰して大地からアイディンティティを築く作業としてあった。そこに意義があった。教育にしても今までのような中央志向ではない、藩校みたいなのが望まれるのかもしれない、明治時代はどうしても過度の中央集権的、富国強兵の工業化としての一律教育であった。それは人間を規格化して大量生産に合わせるということでもあった。地域独自の世界観や文化も例えは方言なども標準化しして否定されたことでもわかる。それは文化の破壊でもあったのだ。グロ-バル化した反面に地域への回帰も同時に起こっているのだ。だらか山村などの過疎化はそうした地域を一部でも破壊するからアイディンティティを破壊するから問題なのである。経済的合理性だけで国土を考えていいのかという問題があるのだ。

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posted by 老鶯 at 01:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 相馬郷土史関連
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