2010年04月05日

新地の地勢は日本の典型(鹿狼山の伝説など)

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新地の地勢は日本の典型(鹿狼山の伝説など)


手長明神は年を経た鹿を愛し、白狼を馴らして連れ歩いた。山頂から長い手で海から貝を取って食べ、その貝殻を捨てた所を貝塚屋敷という。相馬郡の方のふもと新地の小川部落にあった。

浜から離れた場所で貝殻が発見されるため、手長明神が長い手で海から貝をつかんで食事した場所だったという伝承が残っており、その社の跡も残っています。
http://www.mahoron.fks.ed.jp/bunkazai/264.htm


歴史が地理だと書く度に指摘しているけど、それが一番身近な住んでいるところでも地理がわからないのだ。そこに長年住んでいても地理の感覚は身につかない、新地などすぐ近くだからわかりきったところじゃないかとなるそうでもない、新地の地理的特徴は同じ浜通りでも特殊なのである。山と海が近接している、海までの距離が一番近いのである。新地駅からのみ太平洋が見えることでもわかる、ここが海なのか、歩いて行けるなという距離なのである。鹿狼山も浜通りでは最も海に近い高い山だから手長明神の伝説が生まれるにふさわしかった。伝説であれ何の根拠もなく生まれない、ここでは明らかに地理が歴史を説明している。手長明神のある所、手の長い神が貝をとって食べて捨てたという貝塚との距離感が現実的なのである。縄文時代は海が奥に入っていたからさらに距離的に貝をとるにはいい場所だった。その頃沖まで行って魚をとるという技術はもっていないから貝中心の食生活になったのだ。鹿狼は当て字でありガロウという音に漢字をあてたのだから鹿狼と漢字でなってるからそのあとにこんな伝説を作った。地名伝説にはそういうのが多い、鹿と狼は関係ないのである。ごろごろした山とかの意味である。

鹿狼山の麓あたりは海から一段と高いところになっていて住みやすい所だった。海と山が近接しているから海の幸、山の幸に恵まれていることになる。また縄文時代は湿地帯が多いから人は高台に住んでいた。すると新地には海のすぐ後ろが高台になっている。間に平地があっても距離が短いのである。最初は平地は住みにくい湿地帯であり人は住めなかった。高台が住むに適していた。だから新地は最初に人が住みやすい場所であり手長明神の伝説が生まれたのも今でも地理がわかれば納得するのだ。松川浦とか真野川とか他は山はずっと背後になっているからだ。その分湿地帯が広範囲にありどうしても松川浦もその湿地帯の中にあったから万葉集の歌(松がうらにさわゑうら立ちまひとごと思ほすなもろ我がもほのすも)・・・はありえないと考証したのである。これも地理がわかればそうなるのだ。


鹿狼山の麓の杉の目に生まれ育った人の農家は水に恵まれていた。山の清水を家にとりこんでいた。三段の水槽にその水を流し入れて鯉を飼っていた。そこで子供のとき泳いでいたし風呂の水もその清水を利用していたから水で苦労したことがないという、これも鹿狼山が海に近くても山が近接しているからそうなったのだ。他では相馬市でも南相馬市でも山は相当背後にあり清水は出ない、鹿狼山のような大きな山が迫っているから清水がでてくる。他にも新地には清水で有名な場所が二カ所ほどありその清水をとりにゆく人がある。それはやはり山が近くに迫っているためである。町では前にも書いたようにもらい水である。水道がないときは自分の家では風呂の水は近くの江戸からバケツで運んでいた。子供のときそのバケツで水を運ぶことが家族総出で大変だったので文集にそのことを書いたのである。水をもらうことはまた井戸がない家にとっては苦労となる。「水をください」と頼まねばならないからである。新地では水に恵まれていたことは山と海が近接していたから山の幸と海の幸に恵まれていたことになる。平地の幸、米作りは後から湿地帯を苦労して人力で作り出したものである。縄文時代は海彦山彦の時代であり海の幸、山の幸の時代である。その典型的な地形が新地にあったのである。

ともかく日本では水だけには恵まれている。海から山へと行けばそこには豊富な水が流れている、その水もきれいであり飲めるから外国ではこんなに水に恵まれているのに驚くだろう。外国では川でも泥川が多いのである。水が飲めるような川などみかけないのだ。ともかく水道がない時代は水に苦労しない山の人は恵まれていた。山がすべて今のように悪いイメ-ジとはならない、木材が使用されていたときはそれで大儲けした人もいるからだ。新地でも「父の共有林」という話がインタ-ネットに出ていたが杉の目の人は知らない、その時すでに牛は使っていない、その前の代になっていたからだろう。人間は近くでも経験していることがかなり違っているのだ。そもそも海の幸と山の幸の国だとすると海の幸で生きる人と山の幸で生きる人はかなり違っているから海彦山彦の物語が生まれたのである。

(郷土史研究(水の問題)
http://musubu.sblo.jp/article/17441829.html

posted by 老鶯 at 19:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 相馬郷土史関連
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