2010年04月20日

南相馬市原町区桜短歌十首

harasakurara11.jpg


近くにそ住む女(ヒト)気になる朧月

春の日や堰越え流れひびくかな


南相馬市原町区桜の短歌十首

原町へ松に陽のさしゆくらかに浜街道に桜咲きそむ

新田川の流れのひびきその岸に桜の咲くや朝の日さして

新田川流れのひびき朝清し樹々も芽吹きて桜咲くかな

また一つ原町流る川上の朝のひびきや桜咲くかな

原町の郊外広く桜咲く雨あと潤う畑の土かな

原町の空の明るく桜咲きや郊外広く燕来るかも

原町の郊外広く高台に新しき墓地花の影かな

花の影踏みつつ静か参る墓幸いなるやここに眠る人

夜ノ森に花見の人や昔なれ母の実家は今はなしかも

墓のみそ残りてあわれ夜ノ森の桜を見しと我が帰るかな

夜ノ森に夜桜見つつにぎわうや母の実家の今はなきかも



南相馬市原町区と相馬市は何か感じが相当違っている。街の表情というものが同じ様でもある。これはなかなか住んでいる人でないとわからないだろう。川をとっても相馬市の宇多川と真野川と新田川は違っている。川の大きさでは真野川だが新田川は短い川だから流れが速くひびくのかもしれない、それに最近イオンの方に買い物で行くと細い川がありその上流の方を回るのでここにも川が流れていたことを知った。小さな川が三つくらい流れている。一つは街の中を流れている。 原町は何か相馬市と違って明るいのだ。相馬市はいつも沈んだ感じになるが原町は明るい感じになる。郊外も広く空まで明るい感じになる。これも不思議な感覚である。鹿島区で明るい感覚にならない、相馬市も城跡のお掘りが淀んでいるから淀んだ感じになる。同じようでも街の表情は違っている。他から来たらこういうことはわかりにくいだろう。原町は無線塔とかありもともと一早く近代化したから広い原野を開いてできた街だからそういう感じを受けるのかもしれない、喜多方も会津より北に開けた明治以降近代化した街でしり会津は城下町で今の相馬市の感覚になる。つまり近代化産業遺産が歴史として注目をあびているように明治以降の近代化は歴史になっているのだ。原町の明治以降の百年も近代化の歴史を刻んだから南相馬市とすることに違和感が生じたのである。近代化百年の歴史を無視して江戸時代に戻ってしまったからである。

 

いづれにしろここに夜ノ森公園の近くの母方の実家は消失して墓だけが残った。雲雀が原の陣が崎の墓も桜におおわれていたからいい墓地だった。橋本の墓地は墓だけだからあそこの墓からすると整然としていてもものたりない、桜咲く時期にあの高台に墓参りすると気持ちいい。つくづくつぎからつぎと人は変わり街も変わってゆく、そしていづれはみんな墓の中になってしまう。それももはやかなり近いのである。団塊の世代も一時代を生きて死んでゆく、歴史となってゆく。墓に親しみを覚えるのはそのためなのだろう。親も死んで葬式することも多くなるからである。

今日は朧月である。近くに誰か女の人が一人住んでいる。若い人である。そこは悲惨な家であり親子が住んでいたが息子は病気で早く死んでしまった。そのあと母親も死んで空家となっていたが誰かが住むようになった。田舎ではそういうことが自然と気にかかるのだ。だからプライバシ-が侵害される。「草の戸も、住み代わる世ぞ、鄙の家」 芭蕉である。今は華やかな若い女性が住むようになった。もうそこに住んでいた人を語る人もいない、全く忘れられてしまった。
人間が死ぬと本当に忘れられることが早い、そんな人いたのかとなってしまうから無常である。

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