2010年04月28日

丸森町筆甫の古田口の地名の現代的意味 (田より水芭蕉が価値ある時代)


丸森町筆甫の古田口の地名の現代的意味
(田より水芭蕉が価値ある時代)

地名は地図で探ししてみても実際は何を意味している地名なのかわからない、平凡な地名でも意味がある場合がある。地名を本当に知るにはその場に立つことである。地図だったら立体的に見ることができない、立体地図があるにしろそれでも実際にその場に立つのとは違う。地図を見てもだからその土地のことはわからないのだ。今回筆甫の古田口でわかったことは松が房ダムからここまで家はほとんどみかけなかった。松が房タムはまだ工事中だから最近できたのだからこの辺りには家はなかった。真野川のダムには大倉の村が沈んでいるがこの松が房ダムには家などないし小さなダムである。そこから出てきて最初に古田口とバス停があった。そこには写真のように一軒の家があった。そこでなぜ古田口なのかとなる。古田となっていれば古町と同じであるどこかに新しい田ができたからこそ古田となる。それは近い場所である。古町も実際町の狭い地域で古町となる。にぎわう町は昔から移動していた。今では宿場町の街道から鉄道ができて駅前通りとなり今では車社会となり郊外のス-パ-に人の集るところは移動してしまった。つまり大規模にかつての街の中心部が古町になってしまったのである。


日本ではともかくどんな山奥でも狭い地域でも田を作り米を食うことを第一にした。米が食えれば定住できる。もちろん他にもいろいろ栽培していたが米を作ることが優先された。丸森でも四十麦という地名があるから麦も栽培していた。でもどこでも米を作るために開拓されてきたのが日本だった。どうしてこんなところに狭隘な不便な山奥に田があるのかと思う。その田が今では減反政策で荒廃している。春田というイメ-ジがない、減反政策は風土も荒廃させたのである。そもそもその原因は日本だけのことではなかった。グロ-バル経済となり材木だけならいいが米すら安い米を輸入できるしアメリカやオ-ストラリアでも米を作っている。大陸では土地は平坦でいらでも米がとれる。その量は桁違いになる。米はこんな狭隘な所でとってもたかがしれているのだ。自給自足的な貧しいものとなる。自給自足だからこそ隠里となる一面はあった。炭焼きの時代は炭を売り山の中でも売るものがあり外から必要なものを買うこともできた。グロ-バル経済になったとき炭も木材も売れないとなると山の暮らしは何を生産すればいいのかとなる。


そこで今回筆甫の古田口の近くの水芭蕉を見たがあれは自然に群生したものではなく作られたものだと推測しているプログがあった。水芭蕉は自然に群生している所はまれだと思ったからだ。尾瀬のような所でこそ水芭蕉が咲く、ここの水芭蕉は尾瀬のようにきれいになっていない、でもこれだけ群生してれば水芭蕉の里として売り出せる。ここは土地の人が工夫して水芭蕉を植えて咲かせたのである。でも不思議に自然に群生しているように見えるのだ。そもそも日本は湿地帯が多いから水芭蕉でも咲きやすい、湿地帯を開墾して田にしたのである。田代というのは田になるべき地のことでありそういう地が各地にあった。尾瀬すら田にしようとしていたのだからいかに田にして米を作ることに執念を燃やしてきたかわかる。米がとれればそこに住めるというのが日本人だったのである。

今や米が必要ないとするとき一体何が必要なのか?それで水芭蕉を栽培したのである。米より水芭蕉が価値あるのだ。水芭蕉ならみんな見にくるのだ。そしてここに水芭蕉が自然ままに咲いていたのかと錯覚して観光地に名所になったりする。米にはもはや価値がない、花の方に価値がでてきたのである。でも人間の生活はその土地が活きているのはやはりそこに暮らしがある時である。田があれば春田になり季節感としてこれから田んぼに苗が植えられて田植えとなるんだということを感じる。ところが減反で田が荒れているとそういう生活感覚がなくなる。荒廃したものとなり来てみても春の気分がなくなる。でもこうした辺鄙な地域や限界集落を作ったのはグロ-バル経済の結果であった。無縁社会というのもその原因を深く探ればグロ-バル経済が原因している。地球の裏側からも食料が絶えず入ってくるような世界である。米などアメリカやオ-ストラリアの広大な平地でいくらでも作れる、だから日本に米を買ってくれとなる江戸時代から戦前から戦後でも米を農業の基盤にしていた世界からすると信じられない世界になっているのだ。これは別に日本だけではない、中国でも鎌一つで奥地から農民が出稼ぎに来る。でも今ではコンバインで麦刈りに来る、その生産量は人間が鎌一つで麦を刈るのとは比べ物はならない、人間一人の労働力の百倍の効率とかなればもはや人間はいらないとなってしまうのだ。これはアメリカやオ-ストラリアで米を効率的に生産することとにているのだ。農業も世界的分業化したらとても日本の小規模農業など競争には勝てない、いくら品質を良くしても今は外国の米でも品質が良くなっている。自給自足的経済とは比べ物はならないグロ-バル経済にのみこまれてしまうのだ。農業を世界的分業にすること自体、異常なことであり基本的な国土形成を破壊してしまう。

一つの小村でも山村でもそこに人が生きてきたということは自然と調和して生きてきたということがある。その中に文化が形成されてきた。春田という一つの俳句の季語もそうである。それもこれから田が作られるということで春田になっているのだ。それがなくなったときその文化も破壊されたのである。文化がculture(耕す)という意味なのはまさに土を耕すことでありその土地と密接に結びついていたのが文化だったのである。
地産地消が自給自足的なものとして農村も山村もあったのである。それが根こそぎグロ-バル経済で破壊されたとき限界集落が生まれたのである。


筆甫の水芭蕉のこと
http://0313.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_4f94.html


隠里梅林
http://musubu.sblo.jp/article/37412726.html
posted by 天華 at 16:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降
この記事へのコメント
1969年〜米の自給が減り在庫が増えた為に始まった減反政策ですね。そういえば、私も兄も両親が自営で忙しくておりましたにで、親が帰ってきてからの夕食が遅い時で20時でした。
食べざかりの私達が学校から帰ってきて我慢が出来るはずもなく、パン代として、毎日お金を置いていてくれたのを覚えています。菓子パンなどおやつ代りでしたが、それが癖になりパン党でした。昔と違って核家族化した事も一因かもしれませんね。祖母が家事手伝いをしに来てくれていた頃は丼を作ってくれていましたが、祖母もいつの間にかパン党になっていた事を思いだします。しかし、大人になるにつれてお米の美味しさやお米だからお腹が一杯になる事も分かり切り替える事が自然に出来るようになりました。年齢と共に好みも変わるのでしょう。そういう訳で、この制度が始まった世代はパン党が増え始めた世代でもあるのではないかと思いました。子供の頃に住んでいた田畑は、今はすっかり無くなって新興住宅が増設していましたし、今では畑仕事をしている農夫の姿もあまり見かけなくなりました。機械文明が進み、人も機械化していて温かみや情、その表現力さえ失われてしまっているようにも思えます。心を自然のままに伝える柔らかさが…。それは、とても残念な事です。
Posted by 玉本あゆみ at 2010年04月28日 21:26
自分の家でも朝はパンになりました。自分が食事を用意していたのでごはんだとめんどうだからです。パンだと簡単だからそうなってしまう。朝はパンになっている家が多いと思う。
朝に味噌汁とか用意するのが大変なんですよ、今も家事を半分やっているから
なるべく簡単にするのがいい、結局今の時代みんな忙しいんですよ
だからオカズも買っているし健康的には良くないです、料理はめんどうだからなかなかできません、ただ胃が悪くなったので料理も工夫しないとだめだなと思いました。
Posted by プログ主(小林) at 2010年04月29日 09:09
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