相馬なれ馬乗る人に桜かな
夕陽さし今一時の桜かな
道の駅人交差して花の屑
花は桜木 人は武士-花は桜、人は武士が最も優れている、ということ。
相馬というと野馬追いになるけど馬に乗っている姿みるとかっこいい、男が胸を張って凛々しく見える。 野馬追いは格好だけでも昔の武士になれる祭りなのだ。この諺のようになる。だから野馬追いだけのために馬を飼っている人が相馬にはいる。当日だけ馬を借りる人もいるが馬になれるためにはやはり馬を飼っている必要がある。その費用が大変でも一年に一回の野馬追い祭りには武士になれる。誇らしくなれるということで馬を飼っている。祭りに賭けている人もいる。長野県の御柱祭りなどでも死人がでるほど激しい祭りである。他にも死人が出るような激しい祭りがある。祭りに命を賭ける人もいる。それほど祭りには血を騒がせるものがある。野馬追いもそうなのである。すでに今からでも野馬追いに出る人はその日を待って暮らしている。
一年に一回の晴れ舞台を夢見て暮らしている。その祭りに賭けているともなる。ただ野馬追いは出れる家が決まっているから他の人はそうはならない、ただ見るだけの人となってしまうからだ。そこに祭りとしても違っている。武士になれるのは武士の出だけだとなる。他の人はただ見るだけになるから血が騒ぐとはならない。その辺が他の人はわからない面がある。青森のネブタ祭りなどは衣装を貸してくれるし飛び入りで誰でも参加してハネトになれる。野馬追いはなれない、江戸時代の戦国時代の再現であり庶民は人は武士として眺めて賛嘆するだけだとなる。他の祭りは庶民がみな参加している。野馬追いに参加する人と参加できない人が明確に別れていることが違っている。
ただ野馬追いは馬の祭りでもある。馬が蘇る祭りでもある。馬と共に生きてきた時代が蘇るのだ。馬もだから飾られてこの時ばかりは誇らしげになる。馬は今や競馬場くらいしか活きている場所がないからだ。人馬一体となるのが野馬追いである。馬に乗っている姿がまさに人は武士と感じた。そこに桜が咲いていたから桜に映えるのも馬と武士なのである。
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