
夏菊のたちまち千輪あふれ咲く
夏菊や高台の墓に夕日さす
夏菊や風を切って朝走るかな
老鶯の鳴きあう夕べ森深し
老鶯や夕べゆっくりと帰るかな
夕風に藤のゆれつつ急がざる
川子なる高台に咲く菖蒲かな我が一人のみ今日も行くかな
今や自分が時間に追われないようにしたって必ず追われている。ゆっくりとした時間を作らねばならないし沈黙の時間を故意に作らない限り精神的ゆとりは生まれない、ひっきりなしに車の行き交う道を行き来すれば車に追われているのだ。江戸時代辺りは時間に追われるようなことはなかったろう。時間の感覚は今とはまるで違うからだ。一分刻みの時間に追われている現代とは余りにも違う。仕事も二時頃終わったとするとあとはゆったりとしていた。とにかく現代は時間を奪われ沈黙の時間を奪われた時代だからこれらを作るには故意にそうした時間を作る他ないのだ。それでやっと人間的になるのだ。自転車の時間は人間的リズムだからいいのだ。
ギックリ腰でも自転車に乗ることはそれほど苦しいものではなかった。座ってから寝てから立つの苦しいのである。電動自転車だから原町まで行けたからこの電動自転車は重宝している。
自分ほど自由にゆったりと生きた生きようとしてきた人間でも一生はあっというまだったというとき勤めている人などはさらにあっというまに終わってしまっているだろう。人生は過ぎ去ってしまいばみんなあっというまで終わる。今日も川子の高台の道をゆっくりと帰ってきた。夕風に昔の時計の振り子のように藤の花がゆれている。そこに自然のゆったりとした時間がある。川子の高台の墓は立地がいい、今は白い夏菊が咲いている。自分はまず学校は規則と時間に縛られるから適合できなかったしまた勤めることもできない、時間と規則に縛られることが一番苦手であった。だらしないというのもあった。だからこんなに自由に生きられたことはありがたい。こんなふうに生きられることはまれだろう。今の時代どんなにゆったりと生きようとしてもせかされる。騒音の世界からも逃れられない、必ずどこかで工事しているし車の騒音でも逃れられない、
川子の高台に咲いている菖蒲はそうした世界から離れて咲いている。あそこは本当にめったに人が通らないことがいいのだ。車も通らない、それで癒しになるのだ。
夕風にゆれる藤の花(詩)
http://musubu.sblo.jp/article/38589735.html
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