小窓より涼しき風や隠居かな
近くなる木陰や流れ清しかな
飯館の道を行く人まれにして広々として木陰なすかな
常陰(とこかげ)の苔むす岩のもの言わず涼しかりけり誰か知るらむ
戸を出でずして天下を知り、窓を窺わずして天道を見る (不出戸知天下 不窺窓見天道)」
(第47章)
<戸口から出ることなく天下のことを知り、窓からのぞかなくても天の道を見ることができる>
これは明らかにインターネット時代を予見した句といえよう。
外に出なくて世界のことがわかる・・・・・これもどういうことなのか、実地に体験しないとわからないことがこの世にはたくさんある。その頃世界は中国だけだとしても中国自体世界のように広い。やはり若い内は世界を実地に見聞しないかぎり世界のことは特に現代ではわからない、ただそのあとに戸を出ずして世界を知るということがありうる。小さな窓から見る世界となると隠居にふさわしい。その小窓から涼しい風がそよぎ入る。つくづく最近特に体が弱ったので自転車で今日のような紫外線をまともに受ける時は体に答える。もともと体が弱ったけどさらに弱くなったからこんな紫外線をまともに受けるときは外に出れない、近くならいいが遠出はできなくなった。するとこの老子のような言葉が実際の生活になるのだ。外に出たくても出れないというのが実情になる。それでも世界がわかるということになる。今まで経験したことで世界を知る他ないとなる。
そうなると近くにきれいな水が流れていたり近くに自然があることがいい、でもこれは小さな町内でもそれだけの自然はない、「窓を窺わずして天道を見る」というとき心の中で見えることを言ったのだろう。心の中に深い森を瞑想の森を持つことができる。とはいえやはり現実にそういう森がないと心にイメ-ジしにくい、東京のような大都会では森をイメ-ジすることは不可能である。飯館のような森があれば常にイメ-ジできるがやはり何度もその雰囲気にじかにふれているのがいいのだ。何回行ってもあれ飯館は何か違うなと感じるからだ。それは平地では作り出せない何かなのである。森や空気から出てくる精気なのだ。不思議に一つ山越えた川俣町からは全く感じない、飯館は何もないのだけど森の精気が出て空気が違っているのだ。現実に森にはそうした二酸化炭素を減らし酸素を放出しているからこそ本当に体にもいいとなっている。
単に詩人のイメ-ジ的なものではない、科学的根拠あるものとして心も体も癒されるのである。
ギリシャでも深い森におおわれていたしレバノン杉のある中東すら森におおわれていた。それが失われ砂漠化した。日本はまだ森が残っているから世界でも珍しい地域となっている。羊や牛の放牧など牧畜業が発達しなかったためもでもある。だから植生が維持されたのである。
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