2010年06月14日

秋澄む(ケルンの塔)

kelonnn11.jpg



秋空にケルンの塔や荷船かな


塔二つ響きあいけり秋澄みぬ

オランダへ荷船下るや秋の空

秋空にケルンの塔の高きかなラインを下る貨物船見ゆ

秋のドイツの大地


秋澄みぬゲルマンの大地広きかも

悠々とラインの流れは古よりの境

ロ-マの遺跡に石の柱の残りて

その後に中世の古城は点々と

秋風の吹き歴史の重みを語る

秋空にケルンの塔の高きかも

貨物船のラインを下り行くかな

荘重なるゴシック大聖堂の鐘鳴るや

鉄路に野菊咲きにつつあわれ

赤き薔薇ももの寂びて咲きにしや

一つの貴族の館の古りにけるかも

晩秋のドイツの大地鎮まりぬ

ここにバッハやベ-トベンの生まれ

荘厳なる楽は鳴り響きわたるかも


ドイツを旅したのは晩秋だった。ドイツは寒いところだから秋とか冬の方がドイツ的になっている。ケルンの塔を電車から見たときは感激だった。中国でもヨ-ロッパでも塔が多い、その塔もツインになっているのが多い、ツインになって調和する。写真を見ると秋の空のように澄んで写っていない、ドイツやフランスは平坦な地だから空も広々としていた。大陸と日本の空も違っている。日本では山が多いから広い空を感じることがないのだ。そうした平坦な土地がつづくところでは塔は風景をひきしめるためにも実際に敵を見守るウオッチングタワ-として見張りの塔としても不可欠だった。海外旅行は印象に残すことがむずかしい。もうかなり印象が薄れたからあの時秋の空が晴れ渡っていたはずだと思って写真を見たがそうでもない、別な所だったのかもしれない、それでも一度その地を踏むとやはりそこからドイツの大地がその足元から伝わり文化や歴史を肌で感じるようになるのだ。バッハやベ-トベンの音楽もドイツの大地を踏まないと理解できないというのも本当だろう。その国から大地から自然から分離してできる芸術はない、一体として芸術も生まれているからである。他国へ文化をとり入れることのむずかしさが常にここにあったのだ。

俳句→短歌→詩として発展する。それなりに違った味わいになるし翻訳すればまた別な感じになるのが詩である。ともかく人間の記憶は時と共にどんどん薄れてあいまいになってしまう。その時の感動も消失してゆく、だから一回くらい外国に行ってもいいものができにくいのだ。やはり一年くらい住んでみないと外国というのはわかりにくいのである。ドイツやヨ-ロッパは鉄道の旅ができるからいい、鉄路に日本と同じ様に野菊が咲いていたので同じ感覚になった。ギリシャでも菜の花が一面に咲いているから日本と同じ光景を感じることはあった。ただラインのような川はない、川の文化もない、いくつもの国を川で行き来することは日本ではありえない、川はどこでも運河のうよに見えるのだ。オランダのロッテルダムまで貨物船は行く、川を通じてドイツとオランダは昔から結ばれていたのである。
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