鹿児島から歩いて来た旅人(六号線-南相馬市道の駅)
夏菊や六号線を歩く旅
時鳥一坂越えて休むかな
風鈴や市たて売りぬ相馬焼
鯉はねて波紋広がり睡蓮の赤きや鳥の音池にひびけり
森深み山帽子咲き風そよぐ影なす道のつづき涼しき
今日は南相馬市の道の駅で鹿児島から歩いてきた人が二人いた。一人は遍路姿をしていたから僧なのか、とにかく二人とも鹿児島から歩いてきたことはまちがいない、一人は退職した人で2カ月ここまで来るのかかった。北海道まで行くというから驚きである。荷物もかなり重い、確かに退職すれば時間はあるが歩くとなると普通はできない、この前会った人はお江戸日本橋から来たとしても仙台辺りまででありあとは新幹線とかで帰ったのだろう。歩く旅でも途中から電車など利用する人が多いのである。退職したら確かに時間はあるけどあれだけ歩くことはできない、人間はつくづく体力差ある。若いときからも体力差が歴然としてある。自分は若いときでも自転車で旅行していなかった。最長一カ月であった、それが長い旅だったのである。いくら旅してもあんなに歩く旅はしていない、鹿児島からここまで歩き北海道まで歩くということが想像つかない面がある。それだけ歩いてこそ日本を知ることになる。島国でも細長いから距離があることがわかるのだ。ただ六号線とか国道だと景色が良くないのが問題なのだ。国道からはずれたところは景色がいいがどうしてもそれだけ歩くとなると国道をみんな行くのである。
あの人を見たら本当にうらやましい、なぜそんな体力と気力があるのだろうと思う。気力で歩いているんですというけど気力だけではつづかない、自分は最近は病気とかなり近くを自転車で行くのさえ苦しくなった。あれだけの体力がまだあることに驚きである。六号線はこうして遠くから来る人がいる。これからもふえてくる。昔の東海道辺りだったらみんな歩いているから誰か行くのか声をかけることもできるし旅の人を観察していたら興味尽きなかったろう。旅人自体が今のようにいろんな地域からきているしそれが今とは違いめずらしい、旅人の話も面白い、みんなその土地のことを知っていても他の土地のことは知らないからである。今は車が通りすぎるだけで人とは会わない、車で鹿児島から来たとしてもめずらしくもない、ただ通りすぎてゆくだけである。
南相馬市の道の駅で相馬焼きをテントを張り売っていた。面白い花瓶があったので買おうかと思ったが前にも買ったので買わなかった。こういうのも買っていたらきりがなくなる。風がそよぎ風鈴が鳴っていて今日は夏らしい。川子の森の道には山帽子の花が咲いていた。やはり森や山に山帽子が咲いているのがふさわしい。
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