2010年08月13日

秋涼(相馬市へ)


秋涼や浜街道の松並木

蓮の花朝開かむ蕾かな

一〇輪ほど風にゆるるや花芙蓉

亡き人の思い出語りお盆には墓所もにぎわい死者も歓ぶ

 

今日は二八度くらいだったから急に涼しくなった。このくらいだと体が楽だ。食欲もわいた。本当に胃腸を悪くしてからまともに腹へることもなかった。今日は腹へってご飯を食べた。今年は胃腸の悪さが長引いた。暑さのためでもあった。相馬市の方へ電動自転車で行っても疲れない、強い陽差しはなく寒いくらいだった。こうだと本当に自転車も気持ちいい、運動するにはこのくらいの温度が一番いいのだ。やはり人間は腹へってご飯がうまいとならないと本当の調子ではない、それが今年は四カ月くらいつづいた。でもまた暑くなってくるのか、暑くなると喉が渇くから水分をとりすぎることもよくない、でもどうしてもそうなる。人間はやはり健康が一番だ。健康であれば悪いことがあってもなっとか乗り切れるということがある。健康でなければ困難はさらに何倍も重くのしかかるのだ。

 

相馬市の堀には蓮が開いていた。かなりの蓮が街中に開くのはいい、睡蓮ではない、蓮だから大きい花である。この蓮も実際はインドがあっていて暑いところに明るい今までのような強い陽差しを受けて咲くにふさわしい花なのである。エジプトでもロ-タスとしてオベリスクに彫刻されている神聖な花である。暑いところの花なのである。だから暑いとき日陰に休み見ているのにふさわしい花なのである。今日のような涼しい秋には逆にあっていない、でも今までのような暑さでは自転車では来ると疲れて大変だったし来れなかった。

 

お盆は日本の季節とマッチして風習化した。七日盆のとき秋を告げるように一匹空高くアキツが飛んできたのもそのためである。゛暑さ寒さも彼岸までというのも確かにお盆になりこれだけ涼しくなったのだから秋が来たのかと思う。ただ今年はこれからも残暑が厳しくなるかもしれない、日本の文化は俳句のように季節と一体化してはぐくまれた。お盆もそうした日本の季節と一体化して風習化したのである。墓地が一年に一度これだけにぎわうのは気分がいい、墓地はいつもなんとなく淋しすぎるからだ。これだけ大勢の人が孫から曾孫から家族一同が墓地にお参りすることはいいことである。母も暑さで一日寝ていたが今日はなんとか墓まで行くことができた。これだけ涼しいとやはり活動しやすくなるのだ。

 

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