2011年01月06日

葛尾(かつろう)村など山村は昔は豊な地域であった


葛尾(かつろう)村など山村は昔は豊な地域であった

明治以前で郡山地方の人口が最大になるのは江戸時代の元禄期です。この時の人口は郡山西岸で約2.5万人です。


それは古代では人々は山間地か起伏のある丘陵地帯にしか住まなかったということです。理由は水の確保がむつかしいからです。したがって平地にはほとんど住みませんでした。このことは奈良を見ればわかります。古代の大和朝廷は奈良盆地の周辺の山間地に生まれ、ずっとこの山間地にいました。彼らは盆地中央の平地には決して降りてこようとはしませんでした。

江戸時代には、幕府や藩も山村からはほとんど年貢を取りませんでしたから、平地の零細農家よりはずっと恵まれていました。こういう山村では、次三男でも容易に独立して世帯を構えます。そのため人口減にはなりません。
http://blogs.yahoo.co.jp/asakayama1000/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sv=%BF%B7%C5%C4&sk=1




郡山というと三春であり三春に近いのが葛尾(葛尾(かつろう)村である。そこの落合という辺りに元禄の碑があったことを写真でも紹介した。元禄の碑は普通相馬藩の平地でも見つかりにくいし現実に見ていない、元禄は実際相当東北では古い時代なのである。芭蕉が東北を旅したのは元禄時代である。その時江戸は栄えていた。だから郡山も元禄期に人口がふえた。
そして当時山村は住みにくいかというとそうでもなかった。年貢をとられなかったことも大きな理由だった。山村には炭焼きもあるし自給自足的にはいい環境だったのである。今のように過疎化するのではなく人口は減らなかったのである。奈良でもたいがい山沿いに村がありヤマトもそうであった。大きな古墳は山沿いにあり最も古い道として山辺(やまのべ)の道があることでもわかる。そして水の便のいいところに最初の国、県(あがた-上の田)が生まれた。昭和天皇はその県(あがた)の短歌を残している。平地が住みやすいように見えても平地は湿地帯であり住みにくかったのである。人間の生活は世界的に共通している面もある。


山村はその後も木材の供給源であり資源があるから昔は山村でも豊かな面があったのである。長者もいたのである。今になると葛尾村など辺鄙そのものであり限界集落に近くなるというが江戸時代まではそうではなかったのである。だから相馬藩の武家がかなりの数移住している。山が今のように暮らしにくかったらそうしていない、その後山中郷として相馬藩に組み入れられたのである。牧もあり馬も飼育して馬の供給地でもしった。葛尾(かつろう)大尽がいて鉄の粗製で栄えたということもあるが山村には昔長者がいたという伝説が各地にあるから今の感覚で昔を想像すると違っている。人間の生活は世界的に共通している面もある。水を制するもの治水が国を治める、四大文明を作ったように日本でも水の便が大事でありそこから国がはじまっていることは同じだったのである。


つまりあの元禄の碑は郡山が三春が人口がふえて葛尾村に波及したことも想像できる。葛尾村は三春に近いからである。郡山にも近くなる。ともかく元禄の碑はなかなか見れない東北でも古いものなのである。それが葛尾村にあったことが不思議であった。葛尾村には古いものが残っている。相馬藩と三春藩では境を接して家の構造が違っていたというのは江戸時代からでありその前にはそういうことはなかったろう。江戸時代に相馬藩と三春藩がそれぞれに別に支配されてそうなったのだろうか?葛尾大尽が三春の藩主を呼んで饗応したということがあったように三春藩はの関係も深い地域だった。小出谷から三春へのバスが通っていた。その時も三春の方が近いものとしてあった。浪江はそれ以上に遠く感じられていたかもしれない、阿武隈山地の領域も広いから山村は今は重要視されないが昔はそこで十分暮らしが成り立っていたし豊かな地域だったということを頭に置いておく必要がある。


郡山について書かれた引用したプログはかなり専門的だけど著作権フリ-になっている。誰でも引用はできる、全文も引用できるのだ。



葛尾村(落合)の明暦と元禄と記された石碑の謎
http://musubu.sblo.jp/article/15958029.html

六郎田とかあるのは葛尾(かつろう)村は山でも六郎まで六男まで棲むことができたことを示しているのか?地名にこだわりすぎても困るが山村がかえって人口をふやせたというのも意外な指摘でありそういうことがあったのかもしれない、もし六良田が六郎田ならその前に次郎、三郎もありえたからである。それだけの分家を成し得たのかもしれない、これは推測にすぎないけど山村が人口をふやせたというのは今では考えられないからそういうところに昔を想像する盲点がでてくるのだ。
posted by 老鶯 at 20:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代
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