2011年01月07日

棚倉町を冬に思う


tana44444.jpg

棚倉町を冬に思う




棚倉のともしびあわれ秋の夜や会津より来て我は泊まりぬ


都々古別神社の古りぬ水戸へ行く街道見つつ秋の夕暮


郡山は繁華なれども棚倉は目立たざるかな秋の夕暮


都々古別神社の杉の古りにしや何を見ゆべき秋の夕暮


棚倉に城跡ありて一国や何を語らむ秋の夕暮


棚倉に旅路によりし一日かなその日も遠く冬にし思ふ


冬籠もりふりかえるかな我が旅路棚倉によるは遠き日となる


一度のみ水郡線我が乗るやその日も遠く冬深まりぬ



tanakuramapkuji12.jpg

棚倉町は古代から道が通っていた。だからこそ古い都々古別神社(つつこわけ)神社がある。 久慈川をさかのぼってくると山々の狭間になり棚倉の地域で広い平野にぬける。ここを突破すれば広い中通りの平野に出ていけるのだ。そこでここに蝦夷の一群が集結した。


棚倉に残る伝説のこの地に8人の土蜘蛛がいた。黒鷲、神衣媛、草野灰(かやのはい)、保々吉灰 阿邪爾媛、梯猪、神石萱(かみいしかや)、狭礒名と具体的に述べている。ところが征伐に来た磐城の国造が敗れたので天皇は日本武尊を使わした。8人の土蜘蛛は津軽の蝦夷に援軍を依頼 徹底抗戦した。そこで彼は槻弓 槻矢で8本の矢を放ちたちどころに射殺した。そして土に刺さった其の矢はたちまちに芽吹いて槻木となった。そこでこの地を八槻の郷という



でも棚倉町は福島県でもなじみがない、それはなぜなのか?白河はみちのくの入り口として記憶される。その東北の街道にそって芭蕉の奥の細道で須賀川や二本松や福島市とかは記憶されやすい、新幹線になると本当に大きな市にしかとまらないから途中は記憶されなくなる。
ただ水沢江刺.沢駅が記録されたのは新幹線が停まる駅というだけだった。それまで水沢のことは記憶しにくい、人間は明治以降は道にそって街道にそって村や町を記憶するのではない、鉄道に沿って記憶するようになった。だから鉄道が通らない停まらない町は閑却されやすいのだ。
郡山は古代から道の要所だった。それで『安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を わが思はなくに』という国司を饗応する采女の歌が残った。この采女は饗応することに慣れた女性でありだからこの歌は特別なものではなく采女などがみんな知っていたものであり特定の人が作ったものではなかった。安積山も郡山にある安積山とは限らない、紫香楽宮からこの歌の木簡が発見されたことでもわかったようにみんな手習いとして暗唱されていたものであった。郡山宿は江戸時代でも飯盛女がいて繁華な町であり古代からのそうした延長上にあった。そういう地理にあり今もあるのだ。


古代の道は川でもあったから久慈川にそって溯り棚倉に出たということが地理的にわかる。でも現代になるとそうした川とかの自然地形ではない、人工的な鉄道が道となるから棚倉はその道からはずれてしまったから閑却される町となったのだ。そもそも福島県は北海道-岩手県-福島県であり広大な領域であり知らない市町村があって不思議でもない、全部回ることはできない、ここは自転車で会津から来てテントで一夜泊まったことがありその記憶が蘇り今書いている。人間はつくづく歴史が地理だというとき地理がもっとも理解しにくい、日本の地形は山が多くて理解しにくい、だから近くでも一山越えれば隠里のようになってしまう。棚倉は確かにそういう地域だった。


猪苗代湖でも鉄道の通るところは意識されやすいが昔の白河街道は忘れられている。そこに福良宿(湖南町)があり昔の面影が残る。地理は実際に近くでもわかりにくい、日本では山が多いからそこに例え実際に足を運んでも時間がたつとそんなところどこにあったのかとなる。それはまさに隠里を訪れたと同じである。夢のように記憶から消え去るのだ。ただ東北の幹線道路であり新幹線が通るところは日常の道となっているからその沿線は記憶されやすいがそこから一旦はずれると記憶しにくくなる。棚倉もたまたま自転車で行ったことがあるからこそ思い出すことができたのである。でも不思議なのは確かに会津から来たがそこからどの方向へ行ったか良く記憶していない、人間はともかく忘れやすいのである。ただ都々古別神社に立ちそこから水戸への街道が通じていたのでここからは水戸が常陸が近いと実感したのである。


水郡線も一度だけのって水戸まで行ったがこれもほとんど記憶していない、駅名も記憶していない、鉄道も一回くらい乗ったのでは記憶しにくいのだ。現代は便利だから意外と記憶する旅ができない、通りすぎる旅になってしまうのである。旅をふりかえると本当にそんな街を自分が通ったのかどうかも定かでなくなる。人間の記憶はいかにあいまいになり忘れややすいか、でも今や旅ができず思い出す旅を回想の旅をしている。すると思い出せないとてるともうそこは本当にそんな街があったのか村があったのかとなってしまうのだ。人間は余りにも便利になり心に残る記憶に残る旅ができない、浅薄な旅しかできない、それであとで思い出すことができない、旅は事前に計画して実行してそのあとでふりかえることで旅が完成するのだ。そのふりかえるとき記憶されない旅だと思い出せないからそこに行ったかどうかもわからなくなるのである。それが現代の旅の一番大きな問題だった。



遠い記憶の町
http://musubu.sblo.jp/article/42432023.html

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/42433149

この記事へのトラックバック