2011年01月13日

冬深む(松島俳句十句)

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冬深む(松島俳句十句)

赤き橋渡りて島や松に雪

波のよせ松風鳴りて寒椿


曲松に風の鳴りつつ冬深む


曲松に午後の冬日や牡蠣を食う


島二つ対なし静か冬深む


瑞巌寺洞に仏や冬の苔


瑞巌寺禅寺の門や冬の暮


観欄亭古木の影や冬深む


誰かおる奥松島や冬の暮


蕪村の句何を語るや冬深む

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松島で古人となる歟(か)年の暮

松島で死ぬ人もあり冬籠(ふゆごもり) 蕪村

http://yahantei.blogspot.com/2006/06/blog-post_28.html


この句は謎めいた句である。「世人が俗塵の中で悪戦苦闘する年の暮れに、風流のメッカ松島で故人となるのは、何ともうらやましい」というのが一般的解説である。こう思うのは江戸時代は松島なら遠いからなかなかたずねることができないから憧れの地で死にたいとなる。今のように新幹線で二時間とかなるとそうはならないのである。松島などいつでも行けるじゃないかとなるからだ。これはどこでもそうであるが人間はしかし遂にいくら交通が発達しても旅もできなくなるときがくる。病気になったりして老いると遂にある場所は今ならすぐ手の届くような所にあり行けるのだが行けなくなるということがある。自分も最近病気になったり介護でもう旅もできない、すると最後に死ぬ前に見ておきたいものは何かとなるのだ。やはり富士山などはもう一度日本人なら見て死にたいとかなる。現実に癌になっても富士登山とした人がいた。最後の見納めとして富士山に登山したのである。ここでなぜ松島がそれほどいい場所として憧れたのか、何度も行けない景勝の地だったからである。今なら別に松島で死ぬからとうらやましいがる人はいない、松島が特別な場所ではない、見慣れてしまいばとこでもそうなるのだ。


冬の松島もなかなかいい、あの曲がった松は下から支えて辛うじてもっている。あそこでは何度か食事した。あの松がなんとも風情がある。曲松という地名は各地にある。曲松はやはり目立つから目印になりやすいのだ。


曲松(まげまつ)の地名
http://magarimatu.web.fc2.com/about.html


福島県福島市泉曲松という所には一度寄っている。


瑞巌寺は禅宗の寺だから宮城県には禅宗の寺が多いし墓も多い。○が墓に刻まれているからわかりやすい、相馬藩とかでは禅宗系は少ないように思う。○の墓はあまり見かけないからだ。やはり東北では伊達政宗は唯一の英傑だからその影響が大きいのである。


みちのくに英傑生まる青葉城石垣そりて朔風唸る

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