2011年01月20日

2011年 冬の仙台へ

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2011年 冬の仙台へ

寒烏木に黒々と百羽ほど


家の前大根あらわに頼もしき


新幹線枯蔦這いぬ高架橋


風花や喫茶店に入る通りかな


喫茶店向かいに一人枯木見ゆ


仙台に消防車出る寒さかな


古本をまた買い集め冬籠もり


冬満月海より昇り新地駅


阿武隈川広々として鴨の群れゆうゆうとして冬の日暮れむ


打ち曇り蔵王の見えず雪の中みちのくの冬農家古りにき


油絵に教会の塔や仙台の喫茶店に入り冬のくれかな



今日はひさしぶりで仙台に行ってきた。9月ころ行ったがあとは行っていない、黒々と百羽くらい日本の枯木に烏がとまっていたのを見た。あんな光景もめずらしい、いかにも冬らしい風景だった。冬のイメ-ジは黒なのである。駅近くの喫茶店に入った。そこに油絵が飾ってあってすいていた。二階があり休むのにいい、前は隣のチェ-ン店に入っていたが休みだった。そこでこの喫茶店に入った。280円くらいでコ-ヒ-が飲めたから高くはなかった。喫茶店はやはり芸術的な場でもあったのだ。絵を飾ってそれを鑑賞するに向いている。雰囲気を楽しむのにいいのだ。個性ある雰囲気作りだせばそれだけでも入る人がいるだろう。また場所も大事である。定禅寺通りはいいが遠くて行けなかった。窓から景色が見えないと閉鎖された気分になるからいやなのである。仙台と喫茶店を回る楽しみがある。寒いのと時間がないので駅前だけで終わった。仙台の街はそれなりに情緒ある場所である。古本をデパ-トで出していたのでまた買った。変わった本があるから面白い。でも今や本は読みきれないのだ。本を読む限界がきた。もう老人になると本を読んで消化することがむずかしいのだ。だからつくづく何回も言っているけどくだらない本を読んでいたら本当に時間の浪費である。本も読めなくなるときが意外と早くくるからだ。人間の時間は限られている。時間の浪費が最大の浪費なことを老人になったらいやがおうでもきずかされる。


今日はまだ病院にいるからかえって夜遅くなってもいいからでかけられる。今度家に帰ってきたら夜になったら帰ってこないといけないから仙台までも出かけられない、介護で一番困ったのは自由を奪われることなのだ。それも何日も旅行に行くとかではない、ちょっと出かけることすらできなくなるのだ。介護度3になったからショ-トスティのサ-ビスは受けられる。それにしても障害者をかかえることは本当にやっかいであり辛いことなのである。老人が障害者かというけど実際は頭も半分ぼけていたりしたら障害者と同じなのである。自分で食事の用意もいろいろなことができなくなるからだ。すでに五年間くらいつづいているのだ。老人の介護には家でも社会でも限界がやがてくる。高齢化社会はやはり社会的な整備ができなければどうにもならなくなる。在宅になればその負担が大きすぎるのだ。軽いといったって家族が少ない時代には大変なのである。一人に二人めんどうみる人が必要なのである。それがいないと一人だとちょっと出かけることすらできなくなるのだ。

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