2011年03月07日

春の雨(仙台へ)


春の雨老いの二人や仙台へ


仙台の欅並木や春の雨


情篤き女(ヒト)は死にしも春の星

仙台の交通事故調停センタ-に行った。看護が医者の命令がある書類を出してもらわないと認めてもらえない、だから百万出ればいい方だとなる。家事はしていたからそこは認められる。もっともらえると思ったから当てはずれだともなる。いろいろ書類として証拠を出さないと認めてもらえないのが司法の世界である。どんな犯罪でも証拠がないと受けつてさえもらえない、でも交通事故の被害などは賠償請求できるからいい、他の犯罪では賠償さえ請求できない、泣き寝入りが多いのである。犯罪被害者は泣き寝入りして犯罪犯した人は何ら罰せられず反省もしていない、社会的制裁を受けていない、そういう事件も多いのである。そういうことは理不尽だと思うけど現実はそうなっている。そういう犯罪を犯した人は良心に苦しんでいるというけど苦しんでいない人だって多い。そうなると被害者のみがただ苦しむだけなのでありそれで許されないとなり裁判にもちこみ罰せられるべきだとなるのはわかる。


何か理由もわかないいの殴られて身体障害者になった人もいた。その体は一生直らないとか犯罪被害者になったら悲惨である。そして犯罪被害者より犯罪を犯した人は罪は許されるべきだということが納得いかないのは当然である。犯罪被害者には償いも何もないとなったら自ら復讐したくなるのもわかる。犯罪被害者の気持ちもその人の身にならないかぎりわからない、宗教的には許せと言っても身内が殺されたような人は簡単に許すなどとはならない、延々と恨みつづけるようになる。多少でも反省したり良心に苦しんでいるならいいが全然そういう反省も何もない犯罪者も多いからだ。そうした理不尽はつくづく理解できない、交通事故なんかはとにかく慰謝料だけでももらえるし被害を訴えられるからまだいい、全然訴えることもできない犯罪が多いのである。そして犯罪の被害者を慰めてくれる人もいないのである。宗教的にはかえって犯罪者を許せとかばかりになっている。では犯罪被害者はどうして慰められるのだろうか?償いはどこにあるのか、こういうことはすべて当事者にならない限りわからない、当事者にならなければすべて他人事になってしまうからである。


今日は春の雨だったのだろう。近くの人はずいぶん年とった。歯がないのと頭が完全にはげているので年より10年くらいふけてみえる。あそこも子供の自殺とかいろいろあった。その人本人のせいでもあったがずいぶん老けてしまったなとつつづくみた。たまたま仙台へ行く電車にのりあわせたからめずらしく話したのである。親には世話になったから話ししたのである。目が見えず書類が書けないとか言っていた。交通事故になり後遺症で目の神経がやられた。それが20年後くらいにでてきたと言っていた。それで目が見えない、これもひどいなと思った。60代になるとなんらか病気が出てくるのだ。自分も明日はまた病院に行く。


仙台の欅並木が春の雨に濡れている。仙台はやはり東北では都会らしい都会である。そんな仙台に行く二人はすでに老いていたのである。団塊の世代も老いて日本が老人大国になるというのは本当である。家に帰ったら雨は降っていない、春の星がでていた。東京の方は寒く雪がふったらしい、明日はまた市立病院に行かねばならない、その人も眼科に行っているから60代になるとなんらか病気になっているのだ。

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/43730082

この記事へのトラックバック