2011年03月31日

東北の大津波と原子力事故被害の報告(南相馬市より)

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南相馬市鹿島区から10キロは20キロ圏内の小高になる
ここからは立ち入り禁止になる
20キロから30キロ自主非難地域になる、原町区になるがここは人口が多いから大変です
でも南相馬市は原町区が中心だからこの被害は鹿島区にも大きな影響があります
生活が成り立たなくなる、その点15キロ離れた相馬市は南相馬市より被害が少ない
原町区では大きなス-パ-を開いていないし食料の確保に困る
地域でも相当な差がある、かろうじてここは30キロ圏外であり救われたのである



現在の自分の状態の簡単な報告から始めます

●自分の住んでいる場所は丁度30キロ圏から2キロくらい離れた地点です


今日原子力国際機関から32キロ圏外は安全ということをニュ-スで聞きました
その32キロの地点が自分の住んでいる場所です
原子力や放射能についてはわからないことが多すぎます
確かなことは距離が遠ければ遠いほど安全になります
距離の自乗に比例する

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100メ-トル離れていれば100×100=10000分の一になるのです
チェルノブエリでも30キロ内は今でも立ち入り禁止区域です
今はここは南相馬市は小高区と原町区の一部は20キロ圏内であり立ち入り禁止地域になるようです、鹿島区は30キロ内と圏外になっています
でも近いから避難した人がかなりいます、隣近所でも一時避難したようですが今になり二軒は戻ってきています。20キロ圏内でも荷物を取りになど戻ってきています
浪江の人が車をとりにゆきたいと避難所で申し出て断られ酒を飲んで逮捕されました。
突然避難指示されると困ることはわかります、浪江は10キロ圏内に入っていました。
小高も全部20キロ圏内に入っていて立ち入り禁止になるでしょう
浪江はすでに電気をとめられるので生活できません
小高も水道がでないとかいづれ生活できなくなります
立入禁止区域に設定するのはそこに入った人が放射能を運ぶからだそうです
私も南相馬市の病院に行ったら放射能の計測をされました。
今日の放射能の計測でも小高区で20シ-ベルト近くになっているから放射能の影響は距離と密接に関係しています、飯館村は40キロ離れていますが標高が高いので山の村なので風に乗って放射能が流れたようです、東南の風だと丁度飯館村につきあたるからです
南相馬市は風向きでシ-ベルトは高くなっていません、でも小高区は高くなっています
ともかく放射能はやっかいです、マスクをしたりとか外出も普通にできないことは不便です
それより放射能の被害は風評被害が大きいです、春の風も放射能風となり春の雨も放射雨となり全く詩的イメ-ジがだいなしにされました、その影響はあまりに大きすぎます。
キャベツが売れなくなったと自殺した人もいましたが風評被害はうつくしま福島とかのイメ-ジを全くそこなわれてしまったことです


●昨日から近くのス-パ-がはじまり食事の容易が楽になりました


ここ二週間は食事の用意などに追われていました。寝たきりの親を介護せねばならないので苦しい、病人や介護している人は原町区の自主避難地域でも外には出れません、3百人ほどとどまっているようです、原発から5キロ地点でも病気の介護している老夫婦が留まっていたことは驚きです、簡単に避難できない人がいるのです、子供をもっている家族は避難したようです
30キロ圏外でも相当数避難しています

ここ二週間は六号線も自衛隊とかしか通りませんでしたがス-パ-もコンビニも開くようになり楽になりました。これまでは弁当とか外食が半分だったので毎日食事の用意に追われていました。
それから毎日津波の被害地を自転車で見て回っていたので疲れます。今は死体探しをしています。瓦礫の山を見て歩くだけでぐったりと疲れます、本当に地獄絵図です、九州の方からも自衛隊の人が応援にきています、全国から来ています、津波は自分の町のすぐ近くまで来ました。信じられない津波でありその被害は甚大です、自分の家は被害は少なかったですが温水器とか壊れ風呂に入れないとか水道も水漏れしてうまく使えないとか被害はありましたが死んだ人から比べるとたいしたことはなかったです、でも困ったのは放射能被害です
これは本当にやっかいです、空気も風も雨も大地も放射能汚染になり農家の被害だけではない、風評被害でイメ-ジが全くそこなわれてしまった。原子力発電の被害の恐ろしさは人が住めなくなることです、これほど大きな被害はないです、津波も地獄絵図を作り出しましたが放射能もそれ以上に被害が大きいです、ともかく毎日テレビから情報を得るだけで疲れます、原子力発電はここから遠いと影響ないと思っていました。30キロ圏外から2キロのぎりぎりのところであった。

放射能の被害地域では放射能をなんとか収めてほしいと祈るような思いで毎日経過をテレビで見ています、なぜならそれが自分たちの命とかかわっているからです
これほど重大な事故はないのです、なんとか早く収めてくれというのが願いであり命懸けでもやってもらいたいとなります、原子力発電を作った人は命懸けでやれとなる、それが責任だとなる。余りにもその被害が大きいからです、住めなくなるということほど被害が大きいことはないです、ともかくいろいろ情報を得て今回の津波やら原子力事故を理解するだけで大変です

なんとかここは落ち着いて来たので随時またプログに書いていきますのでよろしくお願いします
津波の被害や原子力被害の支援をお願いします

さっきもまた余震があり大地がゆれている、本当に今度の地震やら津波や原子力の被害は想像を絶するものでした
posted by 天華 at 16:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
この記事へのコメント
鹿島区出身東京在住の小林といいます。
郷土史に興味有って以前から小林勇一様のブログを以前から拝見しておりました。今回の地震津波の被災プラス原発事故にあった現地の方のご労苦に対して頭が下がります。震災後の地元の情報がよくわかりました。ありがとうございます。トップの写真(6号線)のすぐ近くに妻の実家があります。今後も情報の提供をよろしくお願いします。お母様、勇一様のご健康をご祈念申し上げます。(以上)
Posted by 小林さとみ at 2011年04月01日 16:09


南相馬市鹿島区の被害は海老村と烏崎村が大きかった。右田村と八沢村はもともと人家が少ないから被害も少ない、磯部村は全滅であり新地の釣師浜も人家が多く全滅です、実際に行ったのは烏崎村と海老村と八沢村と磯部や松川浦に行きました。

海老村は右田からなどからすると高い所なので壊滅状態になるとは思っていなかった。でも
海老村から海岸沿いを上って八沢浦に出るとこは高いのですがあそこまで水があがった。崖の上の家が流された。崖に津波がぶつかってその水で流されたのでしょう。八沢浦はこのあと報告しますが明治時代の浦に戻ったのは驚きです。広々とした奥まで潮水が入り込んだ美しい入江になってしまいました。あとで写真で報告します。津波は泥水になるのですがここは人家が少ないのでなりませんでした。

鹿島区の人たちはどうも残っている人は少ないようです、30キロ圏外でも危険を感じた人はいち早く脱出しました。カ-テンがおりて人のいる気配がない家が多いです。今日は支援物資が配布されましたがス-パ-も開いたので食料確保は楽になりました。店がなくなったときはやはり苦しかったです。六号線は車の行き来も多くなりました。二週間くらいは車は少なかった。
今日はガソリンの配布待っている車の列がなかった。それなりにガソリンもゆきわたったのかもしれない、交通の面ではかなり回復してきているようです

しかし放射能被害は30キロ圏外の鹿島区でも影響が大きいです。どのくらいまだ残っているのか?二三割くらい残っているのか?本当にやはりカ-テンがしまっている家が町中に多いです
20キロ圏内はすでに人が住めない、30キロ圏外でも飯館村のように放射能で計測が高くなると住めなくなる。正直右田浜で一軒家が空家になり不動産会社に家も土地も売った人がいて売りに出していましたがそれも津波で流れました。今になると売った人は命も助かり金も入ってきて良かったと思います。住んでいれば命も失ったかもしれませんから信じられない話です
今や南相馬市に住んでいなくて良かったなとなること自体信じられないです。

これからも被害の状況を報告してゆきます
Posted by プログ主(小林) at 2011年04月01日 19:48
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