2011年04月07日

八沢浦は八つの浦のことだった!(津波で元の海にかえった)


八沢浦は八つの浦のことだった!(津波で元の海にかえった)


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八沢浦の一つ(八つの浦の一つ)


●もともと海であり湿地帯の田は津波で海にかえった

八沢浦の名前は八つの浦があったからであった。回りに浦が入りこんんでいた丁度八つが浦になっていた。そこも田になったがその浦まで今回の津波で海水が入り込んだ。ええ、こんな奥まで海になっていたことに驚いた。日本海にある深い入江になっていた。前にもそのことを予想したことを図解したがその通りになった。八沢浦は思った以上一杯の海水にひたされた。奥の方まで相当奥まで海水が入り込んでいた。だからそきままだったら本当に美しい日本海のような入江になっていた。そして今まで注目していなかったが八沢浦は実は浦が回りに入り込んで八つの浦があった。その浦も海水が入り込んだ。その浦は奥になると高くなっているからその高いところは早くから田になっていたのかもしれない、つまり八つの浦の方に明治に干拓される前に人が住んでいた。それで八沢浦という地名は江戸時代からあった。地名にはその土地に根ざした古い根拠がある。そして今度津波や地震の被害が大きかったのは江戸時代であれ海岸の干拓されたような土地に集中している。千葉県の浦安の液状化した地域ももともと干拓された海岸の砂地であり沼地だったからである。日本はそもそも国土が狭いからもともと自然的条件の悪い所に田を作り住居を拡大化した。つまり自然条件に逆らい無理な開拓をしてきたのだ。それが今回の津波で大被害になった。

行方郡金沢村も古は大沼あり元禄15年に干拓して田地とした。
宇多郡程田村に山田の堤ができたがこれは大恚v芳が農民の用水に苦しむのを見て山田に土手を築き程田、神田、柏崎の三村を灌漑したものである。


こういう海側へ干拓したところは今回の津波で海に還ったのである。

●千年に一回来る津波に対処できなかった浜通り


八沢浦は海岸に接して三軒くらいしか家がないから被害が少なかった。もともと海だった所にも一軒くらいしか家がなかった。浸水しても家そのものは破壊されなかった。でも海老村とか烏崎村は海岸に接して集落化していたから壊滅した。不思議なのはなぜ日本人は海岸にじかに接して住んで津波の危険を考慮しなかったのか?三陸では津波があったが福島県浜通りとか宮城県から名取から相馬までの海岸線では大きな津波は起きていなかった。貞観津波は千年前の話だから実感がない、津波は来ないものと安心していたのである。相馬でも今回の津波は同じように相当奥まで津波は来ていたし今回の津波で実証された。千年に一回来るような地震とか津波は想定外になり油断になり今回の悲劇となった。自然のスケ-ルはそれだけ大きく人間の時間のスケ-ルと違っていた。人間の時間のスケ-ルは小さすぎるのだ。一年刻みであり百年後まで考える人もいない、それが悲劇を生んだのである。青松白砂の風景は人工的なものでありそれが日本の美となっていた。そこは開拓して塩害を防ぐために作られた危険な場所だったという認識をもつものはいない、それが今回の津波で一挙に破壊され原始状態に戻った驚きがあった。海側への開拓は危険なものだった。人間は縄文時代でも危険な場所には住まない、高台に住んでいた。ところが田を作るようになってからもともと海だったところまで住むようになったのである。八沢浦はあそこが元の入江に戻ったらどれだけ美しいとか書いてきたが今は水が引いてしまってない、写真をとったときええ、海水に満たされていたことに驚いた。
そして水が引いたあとに行ってみたら残雪の蔵王が眩しく光り見えた。それはやはり八沢浦八景の歌はここの実景を元に作られたと思った。


●八沢八景の歌はぴったりの歌だった


遠山の暮雪 高瀬さす八沢が浦の夕波に色を乱せる雪の遠山

雪の遠山とは蔵王しかない、八沢浦から蔵王がはっきりと見えるからだ。夕波というのもぴったりなのである。

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八沢浦の夜雨 磯桜八沢が浦の夜の雨に浪のうきねを明かしかねつつ


長岩の晴嵐 雲晴れて入日移らふ長岩の松にしぐれを誘ふ浦風

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これが長岩か


わざわざ磯桜として浪のうきねというのも浦にふさわしい。旅してきたとき何か心も落ち着かなく浪がゆれた感じになっていることを経験している。この歌はかなりいい歌だったこともわかった。旅しているとなかなか眠れないことがあるからだ。これは明かに旅人の歌なのである。
京都から旅してきたとすれば旅人だからこういう感じはわかる。長岩というのは今も海だったころ露出した岩かもしれない、いづれにしろ信憑がある歌だったとなる。

(八沢浦が元の美しい入江に戻った!)-写真
http://musubu.sblo.jp/article/44114737.html

posted by 老鶯 at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係
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