2011年05月30日

南相馬市小高区の縄文時代 (津波で縄文の海に戻った)


南相馬市小高区の縄文時代
(津波で縄文の海に戻った)

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黄色は六千年前
赤は3,000年前以上(新しい)
桃色は縄文遺跡



小高も津波で縄文時代の海になった。その貝塚分布を見るとその地点がちょうど入江になった貝などをとるに一番適した地点だったことが証明された。黄色の●の6千年前の縄文遺跡、上浦の宮田貝塚からは鯨の骨のようなものが発見されている。かなり大きな魚とっていたのか?
そんな大きな魚なら入江に入り打ち上げられたのたもしれない、縄文時代でも最初に人間が住み着いたのは海より離れていた。人間は最初から海の近くには住んでいない、狩猟、採集が先であり貝とか海の魚を食べたのは後だった。シカとかイノシシとかウサギとかそうした動物とか木の実を採集して食べていた。だから縄文時代の遺跡の分布は小高でわかりやい。縄文早期は赤い小さな点が遺跡の発見された所である。六千年前に海の入江の奥に貝塚ができたことは自然の地の利から当然だった。人間の生活は自然村であり自然の条件にそって作られたのである。海に最も近い角部や浦尻は3000年前とかなるから新しいのである。栗(くり)が
グリ(石)となったのはやはり栗のように固いものとして海岸の石を同類のものとして表現した。

平地や山側が先に生活の拠点となった。狩猟や採集の縄文時代は長かった。海に進出して生活するのは新しかったのである。四国に狩浜とあるのはまさに魚をとることは獣を狩りすると同じだったのである。海岸に接して角部とか浦尻に貝塚ができてから縄文晩期になると貝塚はできず集落も縮小した。その原因は海が後退して狭まったためか?何らかの自然の変化によるのだろうか?縄文時代もゆきづまると人口は伸びない、自然に制約されていたら人口は伸びない、縄文時代の人口は停滞する。

人口が伸びるとき何らかの技術革新などが起きた時である。縄文から弥生と米を作るようになると飛躍的に人口は増える。人口のグラフを見たら明治維新から異常な伸びでありかつてこれほどの伸びがあったことはない、なだらかにしか増えていない、明治維新からの欧米化文明化は異常な人口の増大でありそれは自然に大きな負荷を与えたのだ。自然に反する行為だった。その行き着く先が原子力の事故だったのである。

明治維新から百年の近代化は実際は異常な無理をした時代であり自然の負荷も極端に増大した。それが今回の大津波とか原発事故の原因になっている。なぜ縄文時代の海に戻ったのか?それが本当に不思議だった。こんなことがありえるのかと驚嘆した。一見米作り田作りは文明でないと思っているが相当な文明である。稲荷が田の神だというとき鋳成りであり鉄の神だった。田を作るには米を作るには鎌など鉄器が必要であり大規模な田作りは灌漑も必要であり土木事業だから大きな文明だった。鉄の王が天皇の起源だったというのもそのためである。


今回の津波の驚きは縄文時代の海の状態を再現したことである。一番驚いたのは八沢浦だった。あれだけ満々と水をたたえた入江になっているのに驚嘆した。それだけ凄い津波だったのである。六号線も津波は越えてきた。井田川(浦)は大正時代に開拓されたとなると遅い。丸木船など残っているからここでの漁労生活はずっとつづけられていた。ともかく浜通りは松川浦しか入江がないと浦がないと思っているけどいかに浦が多いか入江が多い場所だったか知るべきである。太平洋の東北でもこの浦伝いに航行すれば船も使える。外海は無理にしてもこれだけ浦があるということは浦伝いに遠くまで行けることになる。瀬戸内海はそうだったが太平洋でも浦が多かったのである。日本は浦だらけだった。そこが牡蠣の養殖の場になり今日につづいている。その浦が今回の津波にのまれた。海に接して集落を形成した所は壊滅した。それは弥生時代から始まった青松白砂の光景はそもそも海だったところを開拓してできたものでありその海だったところは松をなぎ倒して再現された。田や米作りの文明を破壊したのである。液状化で苦しんだところももともと海だったり沼だったりした軟弱な地盤だった。これも自然条件に見合わない作り方でそうなった。人間は自然条件に逆らい生活圏を拡大した。それが大津波で破壊されたのである。原子力発電だって自然に逆らうものでありそれが自然の力で破壊された。

自然はやはり何か人間に対して復讐するということがありうるのか?そういう大きな自然の力を感じたのが今回の津波だった。

いづれにしろ郷土史研究の一つの場が20キロ圏内の立入禁止区域で失われた。小さい範囲でも地理とかわかるのは時間がかかる。学問も時間がかかる。何かを理解するには時間がかかる。郷土史は地理が地形が基だとするとそれを知らなければ理解できない、小高は海の方にも一回くらいしか行っていない、意外と海が近かった。桃内駅辺りまで津波が来ていた。立入禁止区域になって入れなかった。小高の人は原町の小学校に避難していた。高見地域の小学校だった。あそこを通ったから小高の人がまだいたのかと思った。小高の人は散り散りになった。これも信じられない、立入禁止区域だと入れないことが困る。小高は放射能がそれほど高くない、平地とか海側は原町区や鹿島区と変わりない、0.7から1マイクロシ-ベルトなのだ。
20キロ圏内となるとやはり爆発したとき危険だから立入禁止区域にした。でも海側は住んでも何ら支障なく低いのである。だからあそこなら帰れると思う。飯館はむずかしい。ともかく行けなく名た所が多いから困る。住んでいる所が刑務所化、塀の内になってしまったのである。



浦尻貝塚の概要
http://www.city.minamisoma.lg.jp/mpsdata/web/3189/2.pdf


鯨の骨 (宮田貝塚)

http://green.ap.teacup.com/naraha/709.html

posted by 老鶯 at 19:51| Comment(0) | TrackBack(1) | 地震津波関係
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