2011年09月09日

高齢化社会を直撃した津浪,原発事故


高齢化社会を直撃した津浪,原発事故



東日本大震災で死亡が確認された約1万3千人のうち年齢がわかった7935人を朝日新聞が調べた結果、65歳以上の高齢者が55.4%を占めることがわかった。
http://www.asahi.com/national/update/0409/TKY201104090357_01.html


 国道45号を挟んで、海岸から山手にかけて民家が建ち並ぶ岩手県釜石市嬉石(うれいし)地区。寝たきりの高齢者を助けようとした男性8人が津波にのまれ、その高齢者を含む4人が死亡・行方不明となった。「津波てんでんこ」の教訓を知っていながら救助に向かった生還者は「『てんでんこ』はやっぱりできない。ならばどうすれば良かったのか」と自問を続けている。
http://blog.goo.ne.jp/jp280/e/dc6cc4e823657b835b815807efd3b067

 


テレビで救急隊員とか消防隊員が呼吸器をつけている高齢者をタンカ-で運んでいるうちに後ろから津浪がきて何人か死んで二人が屋根の上に逃げて助かった。高齢者の問題がここにも現れていた。高齢者を助けるために祖父母を助けるために様子見るためにとかで津浪にのまれ死んだ話をよく聞く、津浪から助かるためには人を助ける余裕がない、つなみでんでこという言い伝えは具体的にわかった。ちょっとばあちゃんを見てくるとかで死んだ話を良く聞くからだ。助かった消防隊員も89才の老人をおぶって逃げていたのである。幸い後ろから津浪がきて水につかったのだが助かった。それはただ偶然にすぎない、死んでも全くおかしくない状況だった。一見これが平時なら美談になり社会から称賛された。

でも今回はそうともならない、あまりにも死者が多すぎたのである。残酷だけど死にかかった人より市町村を支える若い人が生き残るべきだったとなる。高齢者より若い人がかんばらなければ町は消滅してしまうという危機になったからだ。消防隊員は今回この辺で相当数死んだ。高齢者や自分の祖父母を助けようとして死んだ人がかなりいる。それが何か美談とならないのもあまりにも死者が多すぎたためだった。死んだ消防隊員も救急隊員も看護師も町にとっては貴重な人材だった。
そういう人を失うことは町を再建できなくなる。ただこれも高齢化社会を大災害が襲ったからこうなったのだ。その後も高齢化社会というのが

どこでも問題になる。どうしたら市町村を再建できるのだとなるとき高齢者が主役にはなれない、なぜなら50代以上になると事業をはじめるのにも先が短いとなるからだ。それで第一次産業の人は高齢者が実に多い。農業でも漁業でもそうである。跡継ぎがいないということで困っている。それは南相馬市の原町区の大原辺りでもすでに三軒が廃屋化しているし一人残された老人も5町の田をもはや病気と年でやっていけないからかえって東電に補償された方がいいという状態だった。息子は市役所に勤めているから
跡をつかないからだ。


そこで深刻なのが浪江町だった。すでに13パ-セントが住民票を移している。その人たちのほとんどが子供をもっている子育て中の若い人なのである。そういう市町村を支える若い人がいなくなることは市町村が消滅する危機となることを具体的に知った。最後に高齢者だけ残される姥捨山になる恐怖である。現実に原発事故で避難した人達が故郷に帰ってきても支える若い人がいない、看護師なども相当流出しているのだ。市町村を支えるものは建物ではない、立派な病院という建物があっても南相馬市辺りでは医者が流出して入院もできないのでベッドがあいている。そこは高齢者でうまり収入がそこからあり病院は経営されていたのである。やはり市町村から医者が流出したら他にもいろいろあるが命にかかわるから危機である。だからどうしてもお医者様になることもわかった。医者だけではない看護師も重要な役割をになっていた。
なぜなら今や田畑が荒れて何も作らなくても食糧は他から金さえあれば入ってくる。ただ他から入る分高くは最近なっている。でも米など安いから困ることはない、しかし病院だけは病気だけはどうにもならない、町が崩壊するとき最初に医療から崩壊する。高齢化社会だから余計に医療に頼る面が大きいからそうなった。


高齢化社会はさまざまなことで社会に影響している。自分にしても老親二人の介護で大変な目にあった。寿命まで縮まった。自分自身が病気なのに医者に早く行かなかったから悪化していたのだ。今回も動けないから原発事故でも残る他なかった。そうして避難できないと死ぬということが津浪などでは起こりえた。他にもそういう介護で苦労している人がいて避難できなかった。そういうことは自分だけではない高齢者の親の介護のためにいろいろと犠牲にされることがあり問題となっている。社会から介護のために若い人の労働力が奪われるという問題があるのだ。今回の津浪、原発事故は一面高齢者を直撃したのである。再建問題でも高齢者が足かせになっている。高齢者だけでは町を支えられないという深刻な問題が具体的に現れたのである。こんなふうになると余計に露骨に現れた。現実に浪江町では若い人たちと老人化した人達は分断されている。それはもう修復できない深刻なものとなっているのだ。高齢者は早く死んでくれとか隠れていた本音が具体的になっているのだ。
故郷に帰りたいというのもわかるが若い人が支えなければ町は成り立たない、将来もないとなると若い人はすまないから子供もいない、もともと子供すらへりつづけていたのだから更に拍車を欠けた結果になった。


飯館村などでもそうである。老人は早めに帰らせるとか村で二年後とかに住める計画をたてている。でも若い人はもどってこない、そうなるとどうなるのか?本当に姥捨山になる。老人の死に場所となり村の跡を継ぐ人はいないし消滅してしまうのである。老人はもう死に場所としてそこで死ぬのもいいのかもしれない、放射能など気にしない人が多い。ただそこに住んでもいいですが誰ももう手厚い介護はないしそういう所ですから覚悟して住んでくださいともなる。行政の助けもない、細々と生きて死を待つだけの姥捨山になる。そういうことが冗談ではないから笑ってもいられない、姥捨山となり核の廃棄場にされてしまうのである。そして故郷を偲び老人は仮設で泣いている。特に会津とか遠くに避難した人達がそうである。いづれにしろ高齢化社会の問題が今回の津浪や原発事故で具体的に露骨に現れたのである。若い人たちは高齢者と一緒にはやっていられない、命の問題だとか故郷を捨てることがあからさまに表面化したのだ。
代替地は今の時代では無理だろう。だから残るのは老人だけでありそこは姥捨山になってしまうのである。

posted by 老鶯 at 14:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係
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