壊滅した南相馬市鹿島区烏崎村に残った神社の謎
(湿地帯と化して水葵と別な花も咲いた)

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水葵も増えたし別な花も咲いた、湿原化している。

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八龍神社


キツネノカミソリと露草が咲く

360度バノラマ写真
原町区萱浜の瓦礫の山か化した海岸
人皇38代天智天皇の御代大職冠藤原鎌足の末孫 藤原内匠は藤原山の領主であったが、建久2年(1191)に上京するとき、海上で暴風雨にあい、船が難航してあわや沈没しそうになった。内匠は一心に八龍宮を念じ、「私がもし遅滞なく岸に着くことができたら帰国の上は領地宗廟の神として崇め奉ります」。と祈誓したところ、不思議に風波が静まって無事に岸に着くことができた
http://www.saga-otakara.jp/search/detail.php?id=1317
烏崎村は伝説では鎌倉時代に烏浜とありそれから烏崎村になった。鎌倉時代には人は住んでいない、記録は明暦からあり元禄から人が住みはじめた。戸数83人員と記録にある。だんだん人が増えて人口が文久になると336人になっている。ただここで塩に関する記事が町誌にはない。地名をみると蟹田とか北蟹田になどがるが海外沿いを干拓した名としてはあっている。
それで水葵が咲いて何か白い湿地帯に咲く花が津波の跡に咲きだした。この辺はもともと湿地帯でありそこを蟹が住むような所を干拓して田にした。その田があった所には水葵が咲いていたが田にとっては邪魔なのでとりのぞいていた。万葉集にも水葵が歌われているのは田と密接な関係があった。食糧ともなっていたから田があれば見られたものだろう。これはベトナムの水田などでも見たから田のあるところに常に見られるものだった。もう一つ咲いた花は何なのか?これも湿地帯に咲く花である。
貴布根神社があり文政年中宇多郷坪田村高松より勧請とある。これは宇多郷坪田村から移住した人が勧請した。神も人とともに移動する。八龍神社がいつここに祭られたのか?江戸時代からあった。八龍神社は全国で多い、鹿島区の川子村の小高い丘にもある。これが全国に多いのはなぜか?水とか雨とか水害に関係していた。もちろん水と関係していたから海の守り神であり船の安全を祈ったのもそのためである。ともかく日本は水の被害がどれだけ多いか、津波は最大の水の被害であり台風では山が半分崩れるとか大変な被害になる。それもみんな水のためだったのである。水に恵まれているが水の被害も日本では古来から多いから八龍神社が多いのである。
時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨やめさせたまへ 源実朝
津波もまた水と関係していた。日本は四方を海に囲まれているから水に恵まれていても水の災害がつくづく多い。それで今回の津波で不思議と神社が高台にあり津波の災害をまねがれたと研究報告があった。松川浦に津(つのみや)神社があって話題になった。そこにのぼって助かった人が50人くらいいた。その津神社が烏崎にもあった。写真に出したのは八龍神社であり津神社ではない。牛島に津神社があるとしたら今回の津波で完全に流された。ただ津神社が津波を記念して建てられたとするとかなりきちょうものだった。神社は何らかの記念碑である。過去の記録である。ただその由来が伝説化して不明なのが多いのである。松川浦の津(つのみや『神社も津波が来て話題になったのでありそれまでそういう言い伝えがあったのかどうかあったとしてもそんなに語られてはいなかったろう。
この辺にはすでに慶長地震の津波から400年とか経過していたから忘れられていたのである。高台に神社があり津波の被害をまねがれたというが平地にも神社は多く流された。その因果関係は明確ではない。事実烏崎村の津神社は海岸沿いの平地にあり流された。牛島辺りは湿地帯であり最も危険な場所であった。なぜそこに人が住むようになったのか?おそらく漁港ができたからかもしれない、最初は袋村があり海岸沿いに向かい干拓した。そのあと袋村はなくなり烏崎村に併合された。福島県では最初から港はない、干拓が田を作ることで海岸沿いに村が生まれた。ただ海老村と松川浦は塩をとったり港の機能が江戸時代からあった。烏崎村にはなかった。確かに八龍神社に逃げればぎりぎりで助かった。崖のようにきりたっている場所に建っていたからだ。なだらかな坂だと津波は這い上がってかなり高い所までくる。三陸のような山の狭間だと40メ-トル近く這い上がったというのはそのためである。また前方に岬や山があると津波の衝撃はおさえられる。海岸から近くても被害が少ない所は地形のためだった。
八龍神社奇しくも残り津波跡キツネノカミソリと露草の咲く
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