2011年09月23日

菊(俳句は写生-事実は小説より奇なり)

(俳句は写生-事実は小説より奇なり)

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大輪の黄菊二輪や石二つ


大輪の黄菊二輪や手水鉢


菊ぬれて茶室の小径しとやかに


真夜中にかすかに鳴ける虫の声聞きつつ田舎静まりにけり


津波にて流さる船のそのままに秋となりにきかすか虫鳴く

俳句は何かと言うと再三書いてきたが写生だったことがまちがいない、なぜ写生なのかというと人間が想像したことより現実が驚くべきことであった。写生そのままが驚くべきことだった。事実は小説より奇なりというときもそうであった。小説より事実の方がどれだけ奇であり驚くべきものか今回の津波だ原発事故だ台風だとかで思い知らされた。こんな風景がありうるのかということに毎日驚嘆してきた。津波で流された船はそのままでありそれもいつしか一つの風景となっている。その事実がまさに写生であった。写生は平凡なものではない驚くべき事実なのである。今回の津波で起こったことは事実は小説より奇なりを如実に示していた。これほどの驚くべき事実はなかった。故郷から避難した人達の運命もそうだった。そんなことがありうるのかという連続だったのである。その事実を書いているだけで驚くべきことだとなる。
茶室はなくなったけど茶室の道はある。手水鉢もある。でもこんな状態では茶をたしなむということもできない。こういう文化的なことは余裕がないとできない、落ち着かないとできない、秋となると芸術の秋となるがこんな混乱状態では芸術どころではなくなる。自分の病気でもそうなっている。毎日が生活に追われてしまうのである。ただ習慣でやってきたことがら書き続けている。もう一つは記録として書いている。デスクトップに記録したのが突然消えたのでびっくりした。記録したものは残っていたようだが整理するのに大変だった。一瞬消えたのかと思った。前に消えたことがあったからパソコンの怖さを知っている。突然全部消える恐怖がパソコンにはある。でも最近はそういうことがなくなったから安心していたのである。かえってレンタルサ-バ-とかに記録していた方が安全だともいえる。管理しているからである。サ-バ-とパソコンとあとはUSBとかCDに記録しておく、印刷もしていた方かいいがこれはめんどうになる。


ともかくこの辺の異常事態は当分つづく、自分の生活もそうである。こういうところだと落ち着かない、ここだけではない、津波で被害にあったところはみんなそうである。働く意欲が喪失しているというのは深刻なことである。それだけ打撃が大きすぎたのである。仮設に入って何もしないとそうなってしまう。仕事は何であれ生きがいだからそういうものが奪われると気力も失ってしまう。そういう精神的なストレスがこれから高まってくる。だからいつになったら復興があるのかとなると見通しがたたない、神戸で10年かかったというからこの辺はもっと時間がかかるかもしれない、そうなると60代以上は苦しくなるのだ。そうなると落ち着いて仕事ができないのである。特に芸術関係とかそうである。こういうものはつくづく平和でない限り栄いないのである。ただあまりに変化しているからその事実を書くだけで小説より奇なりとなっているのだ。

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