カマキリ(俳句は写生だけど背景を読まないと鑑賞できない)
玄関の戸にカマキリや何気なく
玄関にかまきりとまり客のあり
カマキリの冷徹に餌捕らえ食う
故郷は草茫々と実りなく船の残骸残るままかな
カマキリが玄関の戸にとまっていた。それが何なのだとなるが、俳句は写生なのである。
カマキリ自体が何を示しているのか?カマキリは雌が雄を食うとか残酷なイメ-ジがある。
カマキリ自体がいるということですでにイメ-ジされるものがある。蛇でもそうである。
カマキリはそれほど恐ろしいものとは思っていなかった。カマキリは小さいからそうなる。蛇の方が恐ろしい。これは毒蛇だったら人間も死ぬということがある。でもカマキリも実際は恐ろしいのである。
カマキリが何気なく玄関の戸にとまっている。ただそれだけだったら俳句になるだろうか?何にを言いたいのかとなる。だから写生俳句は背景を読まないかぎりわからない、玄関から入るもの客でも何でもすべてが安全なものだろうか?今や人が家に入ってくることがすべて安全と言えるだろうか?
アメリカでは銃をもって家に入る人を迎える、誰が入ってくるかわからない、強盗かもしれない、
アメリカでは家に入ってくるものは気を許せないのである。それで誤って日本人が殺されたこともある。そういうことは銃社会のアメリカでは良く起こっていることだから異常とは思わない、でも今は田舎でも家に入ってくるもの警戒が必要である。特に家の中に入ってくるヘルパ-とか何か福祉関係でも危険である。そもそも家の中に見知らぬ人を入れること自体が危険になっている。知っている人ならいいが知らない人は日本でも危険なのである。日本では意外とそういう点無防備なのである。
そういうのんびりした時代は終わった。日本も近隣とか家の中に入ってくる人は危険である。
近くでもそういうことで警戒している人がいたからそういう時代になったのだと思った。
いづれにしろ俳句は写生である。その見たままが驚異的であり美なのである。それをいちいち説明する必要はない、説明したら俳句は短いからできない、玄関のとにカマキリがとまっている、それだけ暗示するものがある。ただそのためにはその背景を読むことが必須になるのである。
草茫々の中に津波で流された船が残っている。これも別に想像でも何でもない、ありのままを写生したにすぎないのだけど今までとは余りにも変わってしまったから詩になる違った絵になってしまったのである。写生そのものが驚くべきものとなってしまったのである。津波の跡などもいつまで見てもその異常性が未だに現実と思えない、夢でも見ているのかと最初言う人がいたけど本当にそうである。戦争のような異常事態はそれが普通の生活からかけ離れているからどうしても理解するのがむずかしい。平和な日常生活から想像できないことだからである。だからそういうものを未だに現実として受けとめることがむずかしい。映像で見たりいくら話を聞いても理解しにくいのである。おそらく
元のように津波の跡にも家が建って復興したとき逆にそんな津波があったのかと前の津波が忘れられたようになるのだろう。でも今回は津波の被害にあったところには家は建たないだろう。だからいつまでも記憶として残るかもしれない、平和な日常、普通の生活が破壊されること、それは個々にあってもこんなふうに全体に起きることは想像もつかなかったのである。
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