科学時代の盲点
(地震学は素人の感より頼りない-フジテレビのプライムニュ-スを見て)
地球的規模で地震を見ていなかった
●科学万能主義に陥る危険
「科学的思考」と「科学万能主義」とは違う、科学的思考は科学万能主義にはならない。あくまでも一つの方法である。科学でこの世のことがすべてわかる、解決するとはならない、フジテレビの討論で地震学者が地震予知はできないことを言っていた。地震は未知の世界であり学者もわからないしそのことをもっと言うべきだった。地震の研究は狭い地域で分けてパ-ツにして研究していた。宮城県沖とか福島県沖とか岩手県沖とか部分に分けて研究していた。これは科学の手法である。部分化するのが西洋科学だった。ところがそこに盲点があったのだ。
震度9という地震を経験したことがなかった。経験していないのだからその経験から研究できなかったと言う。ところがスマトラでもアラスカでも震度9の地震は起きていた。スマトラは最近起きていた。それが全く関係ないと言えたのだろうか?地球は一つでありつながっている。地殻は連動している。だから日本のプレ-トがスマトラとかアラスカとは関係ないとは断言できない。地殻の変動は地球的規模になるからだ。人間の盲点は全体を知ることができないことである。科学は部分に分けて部分の研究は微にいり細にいりする。しかし全体として見ることは不得意なのである。地震学はそうした地球全体として研究せねばならないからそこに地震は予知できないのである。
もう一つ科学の盲点は長いスパンになると千年単位とかなると過去のことはまさに科学的に研究できない、貞観地震のことは最近科学的に研究されてわかってきた。しかし以前として推測の域であり
それがまた起こるという確定はむずかしかった。つまり千年とか単位となると科学者も確定的なことは言えなくなる。それから全体的把握になると科学は弱い。地球全体を研究するとなると手に余るとなる。だから部分的な研究には精をだしても地球全体を知ることはできないからそこが盲点になって想定外の巨大地震を予知もできなかった。でもスマトラとアラスカに起きたのだから日本で起きないとは言えなかったのである。
●現代文明に科学的思考は不可欠
それから地震の警報で問題になったのは地震警報は天気予報などと全く別なものだった。それを科学者も予報官もそれを聞いた住民も錯覚していたのである。天気予報は正確であるから地震も正確だと知らず科学に対する錯覚が生まれていたのである。科学はある分野では正確であり効力を発しているし科学の時代だから科学に望み期待することも大きくなっている。だから科学万能主義にもなる。科学がすべてを解決できると科学万能主義になる。科学的見方と分析と科学万能主義は違っている。
科学というときもはやこれを否定はできないのが現代である。例えば宗教にしても科学的にみるべきところはみなければならない、なぜならカルト宗教がこれほど大衆を洗脳するのはなぜなのか?それは不思議にも科学時代に科学的に見ないということなのだ。あらゆることを宗教に結びつけることはすでにガリレオの宗教と科学の分離に反している。またカトリックの政教分離でもそうである。宗教と科学や政治をまたは経済でも分離して考えるようになったのが現代である。
例えば創価などでもあなたが不幸になったのは信心しないからでありあなたの不幸の原因をすべて宗教にしてしまう。会社が倒産したり商店街が衰退して倒産したり病気になったりといろいろな不幸がある。それをすべて宗教に結びつけるやり方は科学的ではないのだ。その理由はすべて宗教にあるのではない、商店街の衰退は車社会になったとか巨大ス-パ-ができたとかにあると社会を科学的に分析するのが正解であり宗教は関係していない、病気にしてもみんな病気になるとしたらすべて宗教が関係するとはならない。現実宗教団体に入って祈ればすべて解決するとかにはどこもならないのである。こういうところでも科学的に見る眼が必要なのが現代である。科学時代に科学的な思考をせず盲信に陥ってゆくというのもまた科学万能ではないからそうなる。
●地震学は素人の感より頼りないもの
現代では科学が苦手でも科学的思考が必要な時代である。現代文明は科学的思考の上に成り立っている。それが科学万能主義となることとは別問題である。科学は万能でないからこそ原発事故も起きた。原子力や核について人間はすべてを知っているわけでないから事故が起きた。原発の安全神話は科学万能主義の宗教に似通ったものとなっていたのだ。科学が万能なら事故は起きない、でも事故は起きた。地震予知と不確かなものとこれまでもそのことは知っていた。だからあくまでも一つの目安にすぎないと科学者が言うようになった。地震について津波についてはわからないと言っていた。だから地震が起きたら津波の警報にしてもあくまでも目安にすぎないから自己判断で危険を感じて避難すべきだと言っていた。ところがやはりテレビとかマスコミが情報を受けていることが日常化しているときそこで錯覚が生まれたのである。
3メ-トルや6メ-トルの津波警報が出たときそんなものかと最初からみくびってしまった。それは常にテレビとかの情報から流されることになれていたことにもある。天気予報とにたものとして見るようになってしまっている。日常的には天気予報は正確なのだけど地震予知は正確ではないのだ。特に巨大地震は千年に一度でも起こるしこれからも想定外のものである。だからこそ予知はできないと言っていたから各自危険を感じて避難する他ないと言っていた。
そして地震警報をだしたのはその時、大阪管内であり大阪では東京のような揺れを直接感じていなかった。だからもし東京管内だったら直接のゆれを感じたからたれは尋常ではないと人間の感が働きもっと津波警報も違ってものとなっていた。そんなことを地震学者が言っている。ええ、人間の感の方が体感の方が頼りになる?それなら地震学者はいらないとなる。これほど地震学は未熟なもので頼りないものだった。それはこれまでもそうだったのである。でも日常的に天気予報とかが正確だからそこに錯覚が生まれたのである。日常的でないものに対し人間は弱いということである。
そうなると夢とか人間の不安とかの方が地震や津波に対して予知になったともなる。なぜなら海岸沿いに住んでいる人は大きな浪に飲まれる夢をみる、自分も小学校の前まで海の水がおしよせてのまれる夢を良くみてたいたのである。その通りに小学校前まで津波は押し見せていたことに驚いた。小学校前から海まではほとんど家もないからそういう夢をみていた。そういう夢が本当に現実化したことに驚いたのである。隕石が落ちる夢などは見ない、しかし浪にのまれる夢は実際度々みているのである。そうした人間の不安は現実化する。だから都会に住んでいる人がビルが倒れたりする夢を見るかもしれないがそれはいつしか現実化する。そういうことはありうるのだ。絶対に倒れないことはありえないのだ。そういう危険を感じることは回りにある。それはいつか現実化するのである。
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