冬椿の城下町(相馬藩-随筆-1)
相馬藩と伊達藩は仇敵であり関係が深い、そもそも相馬野馬追いが派手に行われたのはもともと軍事訓練であり伊達に備えるために大がかりになったのだ。伊達藩との境の新地には古くから住んでいる伊達氏系統の武家の家がありその家では相馬市と合併することをかたくなに拒んでいたという。そんな家があるというのも伊達の境に接していたからだろう。その家は今回の津波で流されてしまった。
相馬領のときの城代は,相馬の家臣である 藤崎摂津であったが、その子藤崎治部の代、天正十七年(1589年)に「伊達政宗」に攻め落とされた。それ以後は、新地・駒ヶ嶺一体は伊達の領地とされ、政宗は、この地を国境の城として大変重要視した。亘理美濃をはじめ、黒木中務、伊達忠宗、桜田玄蓄、新田下総、冨塚長門などの重臣を城代とし、仙台藩の支城となる。江戸中期の享保三年(1718年)から「宮内主税」が城代(領主)となった。
伊達と相馬の境の桜 花は相馬に 実は伊達に・・
相馬のステ-ションビルの七階から磯部の方が見えた。磯部は壊滅した。磯辺小学校のある丘の上は残った。だから磯部へバスはでている。磯部の海岸沿いの町には一軒の家も残らなかった。土台のみが残った。ここまで死体が流されて来たんですよ,それを自衛隊の人が探していました。そんな話を聞くと本当に生々しかった。不思議なのは磯部の人は津波にほとんど警戒せず地震があって津浪か来るというとき海に出て津浪を見ようとしていた。見物しようとしていたというか警戒心がまるでなかった。この辺では津浪などここ400年来ていなかったのだから警戒もしない、津浪のことがわからなかった。それで津浪はどんなものかと見に行ったのである。その人の話では津浪の水が来てから小学校のある高台に車で逃げて助かったという。水が来てからも助かったのか?一波二波三波と来て一波はそれほどでなかったのだろう。テレビで見たあの高い波は二波三波だったのだろう。あの波に襲われたらひとたまりもなかった。家が津浪で吹き上げられたというから空恐ろしい光景だった。
突然の死の衝撃
親は子に 祖父母は孫に
夫は妻に、妻は夫に
それぞれ語りたかった
しかし語れずに死んだ
一瞬にして津浪が飲みこんだ
残されたのは家の土台だけ
ただその上に茫然として立つのみ
多くのこと語りたかった
余りにも無常な不意なる死
自然はかくも非情なるものや
思わずに天に恨みの声があがった
その傷痕はあまりに深い
突然の死は語りたくても
語れない人を大勢もたらした
人は何も言えず死んだ
活きている人がその語れなかったことを
その無念を語りつづける
死者は沈黙して語ることができない
死者の口は閉ざされた
語れるのは生者のみなり
思ほえず津浪に死すや言うことなく土台のみ残り北風唸る
津浪は一言も言わせず命を一瞬にして奪ってしまった。だからこの津浪のことは形容しがたいのである。台風とか地震とか確かに自然災害の多い国だったが津浪の恐怖はまた違っていた。なんと形容していいかわからない恐怖だった。今もその恐怖はつづいている。相馬藩政記には確かに400年前の慶長津浪のことをが一行だけ記してあった。
「相馬藩世紀」には相馬中村藩の領内(現在の相馬、南相馬、浪江、双葉、大熊、飯舘の各市町村)で約700人が津波で死亡したとある。
400年前の津波の後、相馬中村藩は城を軸に城下を整備する都市計画を進め、商工業の振興を促したという。
700人が死亡したというから大被害の津浪があったのだ。しかしこの津浪について語られることはなかった。ただこの慶長津浪で津浪という言葉が生まれたから大きな津浪であり印象に残るから新たな名前がつけられたのである。その一ッ月後に城の建設がはじまったということはその津浪の被害の復興のためだったという説が出た。時期的に接近しすぎるから津浪の被害にあった今そう推定するようになった。ただこれは明確に検証はされていない、これだけの被害を出したのに記憶が少なすぎた。相馬藩政記は相馬では代替わりしていないので長く保存され外部から研究に来る人もいる。
しかし相馬藩政記の前は記録はない、神社はそれ以上に古い。でも謂われがわからなくなったのも多い。
松川浦の津宮(つのみや)は慶長の津浪のとき建てられたという、その神社に逃げて助かった人もいた。名前からしてこれは本当なのだろう。それにしても津浪についてこの辺ではあまりにも語られなかった。ただ松川浦の船を持っている人は船を沖に出して助かった船が多かった。ということは漁師仲間では津浪のことを知っていて警戒していたことになる。その他は全く津浪については警戒心がまるでなかったのである。これまでの津浪でもチリ地震の津浪でもたいしたことがないからあんな程度のものとして津浪をみていて警戒しなかったのである。
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