料理は文化である(郷土料理は貧しいからこそ生まれた)
昔のテレビドラマの中の、エピソードなのだが、
(題名も出演者も記憶に残っていない)
お手伝いさんが、「納豆汁」を作ったところ、そこの主人か誰かが、 「初めて食べたけど、おいしいね。○○ちゃん、君のいなかでは、よく食べるの?」と聞かれ 「秋田の湯沢では、冬にはよく食べますよ。」と答えたのを鮮明に覚えている
納豆 粒納豆でもいいが、ひき割り納豆の方が楽
味噌 やや濃い目にする
豆腐 好みで加減
山菜 上記山菜類好きなだけ
油揚げ 適当に
ねぎ 適当に
セリ
納豆汁の由来は、万病防止と邪気払いのための正月行事・七草に関わります。その昔深い雪のため、春の七草が揃わないことから、代用したのがこの納豆汁だったのです。
なぜ納豆汁かというと、内陸部の人々がタンパクの摂取と、冬の日照不足を補うために考え出された料理だからと言われています。かつては冬になると各家庭で作っていた料理で、体を芯から温めてくれる冬の代表的な郷土料理として親しまれています。
http://www.yamagatabussan.com/hpgen/HPB/entries/115.html
「きりたんぽ」が出来た背景には、秋田が米どころとはいっても、県北では、毎年、安定した米の収穫量を上げる というには、地理的条件・気象条件から難しいものがあった。
そこで、一回の食事の量をふやすため、おかずと一緒にすることにした。そのため、ご飯を杉の棒に巻きつけ、 囲炉裏の火であぶることに よって、日持ちを良くした。つまり保存食の役割も持っていた。
http://kokis.client.jp/farmer/f15_kiritanpo.html
郷土料理がどうしてできたのか?それは食糧になるものが不足している。貧しいからこそできたものである。食糧が不足しているから工夫して料理を作ったことから起きている。
その昔深い雪のため、春の七草が揃わないことから、代用したのがこの納豆汁だったのです
七草がないから納豆汁が替わりになったというのも同じである。材料がないからあるもので補うほかないからできた。キリタンポも米が不足しているから工夫して作った。材料が豊にあるから郷土料理ができたのではない、不足しているからできたのである。戦後まもなく食糧不足の時、すいとんがつくられたのもそのためである。すいとんは一度食道で食べたことがある。それは今になるとなつかしい味となり郷土料理とにている。貧しい時代、江戸時代などになればさらに各地に郷土料理があり
旅したらそういう郷土料理を食べられた。地域色が強いから旅はさらに興味深いものとなった。
旅することは地域地域の特色を知ることであるがその中に料理が入っている。でも現代ではグルメ旅行というときそれは豊かな時代のグルメである。郷土料理は貧しい時代の料理だった。食材が不足しても補う工夫した料理だったのである。だからこそ価値あるものだった。
テレビで琵琶湖の隠れ里として知られる管浦のことを放送していた。そこで出した料理はソバの料理だった。米がとれないからソバの料理になった。田んぼにするような平地がない土地だったからソバ料理になった。日本ではどこでも米が食べられたわけではない、会津は山間地だからソバが多い、檜枝岐などもあれだけの奥地で秘境であったからソバが主食になっていた。米が食べられるのは贅沢という面があったのだ。江戸では米は食べられた。でも脚気が江戸患いとして有名になったのは米だけを食べていたからであった。麦とか五穀を食べていた田舎ではなりにくかったのである。旅をしたが郷土料理を食べたことはない、郷土料理は今はかえって特別なところでしか食べられないし何倍も高くなる。だから旅しても食べるのはどこでも食べられるものである。そうすると旅の味わいも得られない。江戸時代なら必ず日常的に食べられていたものが郷土料理になっていたから土地土地で郷土料理を極自然に食べていたのである。
豊になった結果そうした地域の文化にふれることがなくなったのである。豊でなければ文化が育めないということではない、貧しいから郷土料理が生まれたことでもわかる。現代は食材は豊でも郷土料理が生まれていないことでもわかるのだ。地方だと常に貧しいとか何もないとか都会と比べる。しかし文化は豊かな都会に起こるとは限らないのである。貧しいことばかり嘆いていたことがこの辺では原発誘致になり自然そのものが破壊されて住めなくさえなった。住んでも回復するのが大変なことになってしまった。もちろん戦前は貧しく貧乏からの脱出が最優先の課題だった。でもあまりにも豊かさを追求した結果、原発事故になりとりかえしのつかないことになった。この辺では地域色を出そうとしても放射能汚染になったから自然が汚染されたからそもそも地域色を出すのがむずかしくなったのだ。そのことが大損失だった。いくら貧乏でも自然の恵みに生きることに欠けていたのではないか?その土地が汚染されて食糧すら得られないとなることは最悪だった。食が文化の根本だからである。
人間はその土地土地を味わうということが生きる意味なのである。アイディンティティになるのだ。浜通りだったら新鮮な魚を食べられることが喜びとしてあった。食だけではなくその土地の自然がアイディンティティになる。もちろんそこで生産されるものもそうである。日本酒のようなものはそうだった。酒はやはり昔は栄養補うものとしてあった。酒はかなり栄養があるものだったのである。今は栄養をとりすぎるからさけられるようになったのである。今は土地土地を味わうということがなかなかできない、だから旅しても印象に残らない旅となる。江戸時代の粗末な旅籠で郷土料理を食べていたときの方が本来の旅であった。ホテルとか豪華の施設を利用した旅は旅ではない、そういう点、一番旅しやすくなった現代から旅がなくなったというのも皮肉である。土地土地の味わいのない旅になったのである。本当に土地を味わう、人生味わうのは老人になってからかもしれない、山形の納豆汁を味わうのもまさに山形という雪に埋もれた土地にふさわしいものとして生まれた。山形弁というときこれは青森弁のようにより朴訥な感じになっていた。東北弁でももともとみんな相当な相違があった。仙台の語尾にだっちょをつけるのもそうだった。そのなまりも標準語化して喪失した。みんなきれいな標準語を話す、子供まで話すようになった。その時やはり土地土地の個性も失われたのである。これから地方分権だというとき文化の面でも新たな地方色を作る時になっている。それがこの辺で土地自体が汚染されたことは致命的だったのである。
山形の納豆汁や冬深む
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