伊吹山倭尊(ヤマトタケル)のここに死す春なお雪の残る山かも
関が原越えて近江や春の日に琵琶湖光るや大津に泊まる
三上山聳えて電車走り来ぬ近江平野に蓮華映えにき
三上山春の光に映えにつつ電車過ぎ去る一時眩し
(菅浦)
長浜はにぎわいにしを菅浦は道も途絶えて冬の日暮れぬ
菅浦に舟より静か高島を思ふやあわれ秋のくれかな
長浜の城は近きも菅浦の隠され長く冬籠もるかも
長浜に城建つ前に菅浦のありて古りしも社の氏子
奈良よりし代々つづく神主の菅浦に棲み冬深まりぬ
四足門菅浦に古り閉ざされし歳月長く言い伝えあわれ
越前は遠きにあれど都人行き交ふなれや冬の日暮れぬ
盗人恐れ荷運ぶ昔より舟の行き交ふ琵琶湖なるかも
地理がわかれば歴史がわかる。それを象徴しているのが関が原の戦いがなぜあそこで行われたかということである。まさに関が原が東西の分かれ目だったのである。関が原を越えると近江平野が広がり琵琶湖も見えて何か解放された気分になる。近江の安土に信長が豪壮な城を作ったのも長浜に秀吉が城を造ったのもその後の発展につながった。記憶では電車がひたすら走っているなかに秀麗な三上山が見える。春田が広がり近江平野の中に近江富士と言われる三上山が見える。記憶の中で旅しているときその光景がいつも浮かんでくるのはやはり近江が西国の入り口になっていたから印象的になる。大津を過ぎると家が多くなり印象が薄れてくる。京都は古い平安京を基にした都であり街であり街を知らないと京都はわからない、近江は自然に恵まれているし琵琶湖がありわかりやすい地形なのである。何よりも自然があるということで京都や大阪とは違っている。旅をして印象に残る地と残らない地がある。それは人によっても違ってくる。自分の旅では関が原から近江平野に出た所がいつもよみがえってくる。それは春の陽光のまぶしい日だった。伊吹山で倭尊(ヤマトタケル)が死んだの意味深である。なぜあそこで死なねばならなかったのか?東国の遠征から帰り西国の入り口で死んだのである。これも何かしらの歴史的事実を反映している。
長浜には行っていないし、菅浦にも行っていない、近江といっても広いから比叡山や比良の山の方も行っていない、近江は全体的にわかりやすいがなかなか全部を知ることはむずかしい。地理は実際に現地を踏まないかぎりわかりにくいのだ。福島県の地形のことを書いたけどここも広いから福島県全体を知ることはむずかしい。会津と浜通りは全く違った地形であり自然なのである。会津といっても奥深い、琵琶湖も奥深い所に菅浦があった。想像だけでもそういう所があるということを知って魅力を感じた。本当に最近まで道も通じない秘境だったらしい。道がないとしたら舟で行き来するほかない、それで小舟があった。海老などをとっている所もテレビで写していた。高島の方に舟で行き来するとしたら高島の方と交流かあり陸路は途絶えているから高島の方に思うということがある。
現代では秘境はなくなった。秘湯を求めて旅している人もいる。檜枝岐などは平家落人の村で秘境だったけど今は尾瀬の登山口でありそういうことはない、秘境など今どきないだろう。車でどこまでも行ける社会だからである。ただ菅浦は地理的秘境の条件を備えていたのである。実際に神主が奈良時代までさかのぼる系図を見せたからあながち嘘とは言えない、この辺はみちのくとは違ってそれだけの歴史があるから信憑性もあるのだ。長浜は秀吉の城が造られて町ができた。菅浦はその前に集落としてあった。ただ田んぼなどないから食糧をどうししていたのか?もっと昔になるとやはり後ろが山だから焼き畑だったのだろう。琵琶湖の魚はそれほど食糧にはならなかったろう。ソバが米替わりになっていたことはやはり会津の山の奥とにている。
16世紀の末に長浜城主だった秀吉が、男子が生まれたのを祝い、町衆へ金子(砂金)を与えました。これをもとに町衆が曳山をつくり、八幡宮の祭礼に曳いたのが、現在の「曳山まつり」の始まりといわれています。
また、湖北地域は中世から猿楽が盛んで、そうした芸能の土壌が、この祭りにも大きな影響を与えたと考えられています。
長浜は近いけど菅浦はその頃も秘境のままだった。道が通じていなかったからだ。高島の方に舟で行けたからそっちの方が親近感をもって
いた。交通の便で親近感をもつところと持たない所がでてくるのだ。例え外国でも頻繁に行っていれば親近感をもつ、相馬だと会津は遠すぎるから疎遠になるが仙台は電車で行けるから親近感をもつ、でも常磐線が5年くらい仙台まで通じないとなると疎遠になるのだ。現実に今年は一回行った限りで行けない、代行バスだと遠いのである。亘理が最終7時ころだとするとさらに行きづらくなったのである。交通が閉ざされると江戸時代にもどったような気分になるのだ。車がない人は余計にそうなるのだ。
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