2011年12月12日

抹茶飲む冬の朝 (高齢化で茶道が見直される-新しい老人文化が作られる)


抹茶飲む冬の朝

(高齢化で茶道が見直される-新しい老人文化が作られる)


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冬の庭茶を飲みゆかし書院かな
冬紅葉散るや静かに抹茶飲む


板葺きに石の屋根かな時雨ふる


街道の細道あわれ時雨かな


街道に栄えし家や冬の暮


中山道旅の道連れ時雨ふる



手にとりし茶碗の重し冬の朝石に向きつつ抹茶飲むかな


静かなる時の流れぬ冬の庭苔に日さして書院の主


二本松城内に残る茶室かな椿の落ちて井戸の深しも


相馬藩六万石の貧しさや茶室も残らず冬の日暮れぬ


金沢に買いにし茶碗手にとりぬ冬の長きを抹茶飲むかな


珈琲に抹茶を飲みて年も古る味わい深し冬のくれかな



高齢化で新しい老人文化が作られると書いたがそれにあっていたのがやはり茶の湯だった。やはり茶の湯は日本の風土にあっていたからこそ生まれた文化だった。茶の湯の道は日常的に茶を飲んで安らぐことから生まれた。芸術でももとは日常的な生活を基本として生まれた。それがとりたてて芸術だということはなかった。ただご飯を食べて茶を飲むのと抹茶だけを飲むのとは違っている。茶碗も特別なものであり抹茶の味わいはまた別である。茶の湯の道は日本だけで発展したのである。中国では芸術の域までにはならなかった。茶の湯は少ない人数で交遊を深めるものだった。大勢の社交とは違う。それも茶室は密室であり内輪のものとしての社交だったのである。それでも濃密な人間関係の場として設定されたのである。一期一会とか出会いを大切にしたのである。何よりも茶の湯を本当に味わうには江戸時代のような悠長な時の流れにひたらないと茶の湯を知ることはできないだろう。


例えば茶の湯は生活そのものにあった。二本松の城内に茶室があるけど井戸もある。その井戸はかなり深い。その井戸水を利用して茶の湯の水が使われた。水道のような水だったから便利でも茶の湯にはふさわしくない、深い井戸から冷たい清水をくみあげることからすでに茶の湯ははじまっていた。その一連の不便な動作のなかに茶の湯もあったのである。便利になりすぎたらこうした文化的なものは理解できない、現代はまず時間がないということで時間に追われることでこうした文化的なものが生まれないのである。いくら豊になっても時間貧乏になっているから文化が生まれないのだ。料理でも素材が貧しくても郷土料理のように工夫して手間暇かけるとそれが今にも残るおいしいものとして他から来た人に喜ばれる。そういう時間がないから現代ではインスタント文化になってしまったのである。


文化創生のためには時間をもつべきである。それが高齢化社会で退職後時間がもてるようになる。それで新しい老人文化が生まれということがある。江戸時代に隠居文化が生まれと同じ様に現代にも生まれる。その象徴がコ-ヒ-も抹茶も飲む、ヨ-ロッパの文化と日本の文化のブレンドが日常化していることである。コ-ヒ-の味わいと抹茶の味わいは全く別のものだけど西洋と東洋をブレンドしたように味わっているのである。どちからがその味わいが深いかというとどうしてもやはり茶の方である。その渋い味であり何とも心落ち着けるのが抹茶の味だった。最近わざわざ茶の湯の作法で抹茶を作らなくてもインスタントで飲めるようになった。それはインスタントで茶ではないにしろ味は抹茶の味であり楽しめる。その味わいを楽しむことができる。つまりコ-ヒ-も抹茶も楽しめる時代なのである。


茶の湯となるとどうしても豊かだったところにその文化が伝えられた。金沢などがそうである。加賀百万石だから華麗な文化が残された。相馬藩は六万石であり文化的な面では豊でないので残っていない。それでも相馬焼きは発明であり残った。ただ城には茶室もないし何も残っていない。でも一応城下町だから茶の湯を味わうには適している。茶の湯も城下町にふさわしいとなる。そういう背景雰囲気は歴史は作れないから貴重なのである。

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