失われたアイディンティティ(なぜ故郷を離れられないのか?)
identification (with someone/something)
a strong feeling of sympathy, understanding, or support for someone or something
her emotional identification with the play's heroine
their increasing identification with the struggle for independence
5 [uncountable, countable]
identification (of someone) (with someone/something)
the process of making a close connection between one person or thing and another
the voters' identification of the Democrats with high taxes
アイディンティティという言葉は今や庶民レベルでも使っているし日常語化したのかもしれない、なぜこれをとりあげたかというと原発事故で故郷から離れる人などが多数出たことである。津浪の被害でも故郷を離れる人がでた。故郷にすめなくなった人たちが多数生まれた。個人的ならそういうことはあった。啄木でも放浪の詩人であり望郷の詩人となったことでもわかる。東京という都会で自然の中にある故郷を偲んだのである。
ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな
やわらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに
ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく
啄木は故郷を離れた時、痛切に故郷を思った。そして故郷に帰れずに死んだ。ふるさとの山や北上川の柳とかが目に浮かんできた。それは自然と同一化していた一体化していた自己を発見したのである。それは天才的詩人の感受性をもっていたからそうなった。普通の人は望郷の心はあってもこんなにならないだろう。震災で被害を受けた人が仮設住宅などで作った短歌などを紹介しているが川柳的なもので短歌とはいえない。芸術は基本的に自然と密接にコミットしたとき生まれる。自然との共感が芸術の根幹にある。啄木は自然と深くコミットできたということが不思議である。やはり天才だから十五才の頃から自然と共感できていたから不思議であり普通の人には理解しにくい、それだけ早熟といえばそうなのだが自然と深く共感するには相当な歳月が必要になるからあんなに少年の時期から自然と共感できたかことが理解できないのである。天才のことは凡人にわからないといえばそれまでであるけど自然と共感することは欲望に満ちている若いときには普通はできない。欲があると自然と共感しにくいのである。啄木も病気になって野心とか欲がそがれて自然と共感できたという側面はあった。「ふるさとの山はありがたきかな・・」ということは病気の結果謙遜になったのである。それまでは天才ということでかなり奢りがあったからである。ともかく自然と共感することにアイディンティティを見出す、アイディンティティの基本は自然にある。日本人のアイディンティティが万葉集とかにあるというときまさに大和が今の奈良がアイディンティティになっている。その土地が日本の故郷でありアイディンティティになっている。ナショナルアイディンティティになっている。
なぜ盛んにそんな放射能汚染地帯になど住めないのだから故郷を捨てて移り住めとか他の人は無責任に言うけど日本人のアイディンティティは農民であり土地にあるから簡単に故郷を捨てて移り住めない。故郷を離れて住めなくなるというときそのアイディンティティが断たれるから深刻になる。
アイディンティティという言葉の意味はわかりにくい、どういう言葉なのか訳すこともできないし多様な場面で使われる。正体とか身元とかになるけど実際はこれは深遠な言葉であり哲学的な深い意味をもっているから定義できない、けれども今や頻繁に使う日常的な言葉にもなっている。アイディンティティが失われると存在意義が失われる。
fundamental identification
deeply identified one
deeply commited identification
solid identification
根源的なアイディンティティ、深く自己同一化、共感された一つ、深くコミットされた一つのものとして故郷があった。それはすべて説明することはできない、牛を飼って生活していた人は牛とまた生活したいと訴えていた。それも牛にアイディンティティを見出している。牛と共に生活することがその人の共感であり生きる存在意義をもたらしていたのである。fundとはfindから来ているから見出すとなるとアイディンティティはまだ見出されていないものある、発見されたものもある。牛とともに生活することが俺のアイディンティティだった、存在意義だったと発見している人もいるのだ。
故郷というとき相馬藩時代からでも長い時間の中でアイディンティティが作られてきた。歴史的アイディンティティはどこにでもある。ヨ-ロッパだとロ-マ時代からつづく歴史がありアメリカ人がロ-マを訪ねるとき自分たちのル-ツをたどり自分たちのアイディンティティを見出す。常に人間はアイディンティティを探し求めている存在でもある。
鶉鳴く古りにし郷の秋萩を思ふ人どち相見つるかも 万葉集巻八 (1558)
鶉はどこでもいつでも、簡単に鳴く鳥ではない。鶉は長い年月を経て来た故郷でしか鳴かないし、聞けない鳥である。
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/5102080.html
鶉など鳴いたのを聞いたこともない、鶉の卵は売っているし食べている。だけど鶉を今知っている人はほとんどいないだろう。江戸時代までは普通にみかけた鳥だった。
そのあとの説明も自分がこの歌から感じたことを言いわてていた。秋萩を思ふ人どち相見つるかも・・・ここで故郷で鶉を鳴く声に秋萩を見て共感する人がいる。万葉集は常に自然と人間と共感している。だから相・・・ということが必ずつけられる。我(われ)が実は割れたということから発したというとき、まさに万葉集時代は我という孤立した概念はなく相・・・という共感した存在しかなかったのである。自然と共に人とも共感してアイディンティティが作られていたのである。
making a close connection between one person or thing
英語で説明するとこうなるのだう。
co・・という接頭語は共同という意味だから相と同じである。ただこのcoは二人というのではない、ある一定の数の共同に由来しているのが違っている。そこにアイディンティティ、共同、共感があったからである。
そこにfundamental identification があったとなる。根源的な存在意義がアイディンティティが無意識の内に作られていたのである。意識しないからこそ深いアイディンティティのうちに生きていた。アイディンティティがないとか存在意義がないとか現代人のように意識するようになったらその時アイディンティティを失ったからこそアイディンティティを求めていることになるのだ。
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