2011年12月26日

原発事故はやはり天罰であり神の力が働いた結果 (マンモンの神を崇拝するグロ-バル化経済の結果)


原発事故はやはり天罰であり神の力が働いた結果

(マンモンの神を崇拝するグロ-バル化経済の結果)



人間が地球に対する掠奪を始め、その冒とく無残な手をもって母なる大地の臓腑(はらわた)を探り
本来そのままに秘められてきてこそしかるべきだった、数々の宝を奪取するにいたったのももとはといえばこのマンモンの示唆によるって大いに教えられたからにほかならなかった。

まもなく、彼の率いる一隊は山腹をうがってそこに大きな傷口を開き続々と金塊を掘り出した。
地獄に財宝が生じていることを異とする人があればそれは間違っている。
地獄の土壌であればこそ、こういう貴重な有毒物を生じるのにふさわしいからだ
(ミルトン-失楽園)



現代社会を支配しているのマンモン(財の神)である。地球からどれだけの財を掘り出せばいいのか?石油だけでも大変な財だった。それでもあくことなく人間は文明は財を求めてきた。それが原子力発電につながっていた。原爆であれだけの被害を受けた日本なのに原発利用には無防備だった。財の力に抗することはできなかった。世界を支配しているのは宗教などでない、キリスト教国でもそうである。アメリカはマンモンを崇拝している国である。江戸時代まで日本はマンモンの力に支配されていなかった。もちろん財の力が金の力は大きくなっていた。でも侍のモラル、行動規範は今の利だけを求める行動規範とは違っている。支配階級の侍自体がヨ-ロッパのように財産をもっている貴族階級とは違っている。商人の方が豊になり侍は貧乏になっていった。「武士は食わねど高楊枝」というときまともに食えない侍もいた。ヨ-ロッパの貴族は住んでいる館も大きいし庶民との差は一目瞭然である。広大な庭を造るために農民の集落を移動させたということもあり大きな権力をもっていたのが貴族である。日本の一侍にそんな権力はない、富もない、貧乏なのである。貧乏だから侍屋敷では柿とか夏みかんとかを造ることが奨励されたり盆栽や植木も侍の内職だった。手間賃稼ぎだった。


それで皮肉なことに明治維新で侍階級がなくなるとそうした経験が役に立ち職につけたということでもわかる。各地のお土産になっているのも侍の内職から発展したものが多いのもそのためである。金が必要になっていたが貧乏だったのである。それでも侍の矜持は金ではなく別なものにあった。侍としての誇りがありそれが支えとなっていた。明治維新を成したの庶民ではない、侍だった。その行動規範が利だけで動くものではなかったからできたという。その辺はわかりにくいが司馬遼太郎などが書いているのは要するに命を惜しまず格好良く死ぬということにあった。利だけに生きている現代人とは根本的に違った価値観をもっていたのである。マヤ文明などでも一番強いものが競技に勝って自ら命を神にささげた、それも生きた心臓をささげたのだから信じられない、でもそれがその当時の価値観だった。弱い体をささげることは神に対する冒涜になったからだ。現代人の利だけの価値観とは違っている価値観は今や理解できないものとなる。現代人はとにかく介護でもどこまでも長生きして欲望を充たすことが是認される。一方何かのために神のためにでも命を惜しまないことが価値観としてあった時代があった。価値観は時代により文明によって違っている。しかし今や世界の価値観はマンモンの神を崇めることで共通している。グロ-バル化とは世界を支配するものがマンモンの神になったということである。


いづれにしろ原発事故は現代文明から起こるべくし起こったものだった。財の崇拝はもともとあった。でもこれほどグロ-バル化に富を財を求めた時代はなかった。財は技術的にも地理的にも交通が発達していなから抑制されていたのである。その抑制がとりはらわれたときグロ-バル化した富の追求がはじまった。アメリカでも中国でも崇拝しているのはマンモンの神である。中国はもともと財の神を崇拝していた。中国人で禅宗が起きたのはやはり実利的国民性を繁栄したものである。目に見えない神仏は否定して実利的なものを追うのが国民性だった。アメリカもまた神秘的な哲学とか宗教を嫌うのである。プラグマチズムというときそれは実利的なもの求める。だから現代文明はアメリカ文明だというときそうである。科学でもすべて技術的実利的なものとして具体的な富になるものを追求している。一方でヨ-ロッパでは科学は哲学として起こり神秘的なものを追求していた。それが芸術となって残った。


エジプト文明でもあれも一つの宗教文明であり王に庶民が奴隷が使役されてピラミッドを作ったというのとも違う。ピラミッドは聖殿であり宗教のシンボルだったのである。ただ大きいとかではない精神的文明のシンボルだったのである。マヤ文明の神殿もそうだった。現代の利だけを唯一の価値観として過去の文明をみると見誤るのである。アメリカには産業であり技術であれ実利的なものしか起こっていない、エジソンが代表する人物になる。それはすべて実利的なものとして通用するものしか追求していない、文明国とはいいがたい、アメリカはむしろ新興国の野蛮な国であった。そのマモンの神を崇拝するアメリカに習ったことが世界の堕落であり日本の堕落を生んだのである。それは明治時代にアメリカに留学した内村鑑三とかも言っていた。アメリカではすべては金だと日本ではまだそうではないものがある。それは彼自身が侍の出身だったからそういっていたのだ。世界がアメリカに習うこと自体が現代の世界を作ったのである。エジプト文明であれマヤ文明であれ江戸文明であれ別な価値観の文明を否定したこと別な価値観の文明を作り得なかったことに問題があった。


地獄の土壌であればこそ、こういう貴重な有毒物を生じるのにふさわしいからだ


これはまさに放射能だった。マンモンの神を崇拝するものが放射性物質を生み出す核を作り出した。それは何より富を生み出すからすべての人が群がった。結果としてそれより大きな津浪によって破壊された。それは天罰だった、神からの恐るべき罰が与えられた。そのあとはまさに地獄と化した。
政界から財界から官僚から学者の学会からカルト宗教団体からマスコミから地元もマンモンの崇拝であった。それらに神から過酷な罰が与えられたのだ。あなたもそうじゃないかといえばある程度はそうである。ある程度の利を求めることは否定できない、そうではなくて過度の富を求めることが災いをうむのである。原子力は核はいかに危険なものか身をもってこの辺では知った。それは過度の富を求める結果だったのである。人間は何か制限されるなかで生きているのが地球的に調和する生き方だった。グロ-バル化経済はその調和を破壊したのである。制限できない富の追求になった。会社が社会となり会社の過度な利益追求も止めるものがない、政府すら止めることができない、会社と一体となり原発を推進してきたのである。


今年は津浪、原発事故のことで明け暮れた、そして未だに何ら解決していない、津浪の被害地域も何ら復興していない,その無残な被害の跡は何ら復興していない、このまま年を越して来年にこの問題はもちこすし先が長いのである。今年は寒いけど厚着して寒さを防ぐ他ない、介護のために一部屋エアコンを使うとエアコンや電気製品は使いにくい、二部屋になるとかなり電気をくうので今年はエアコンが電気節約で使えない、それでも厚着すると寒さを防げるして現代は別にエアコンなくても寒さを防げる、エアコンは相当贅沢なものである。ただ介護とか寝ている人とか老人は体が弱いのでエアコンが必要になる。そういうのも贅沢であった。でも寒さをがまんできる人はがまんするようにしないとこれからの生活は成り立たない、それをしないと原発が必要だとまたなるからそのくらいしょうがないという態度が必要になったのが原発事故以後の心構えとなった。

posted by 天華 at 20:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/52436858
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック