2012年06月19日

地名のイメ-ジ力-万葉集の衣摺 (吉原と聞けば何をイメ-ジ)


地名のイメ-ジ力-万葉集の衣摺

(吉原と聞けば何をイメ-ジ)


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吉原はもともと現在の日本橋人形町近辺にありました。このあたりは当時誰も住んでいないアシばかり生えている沼地で、昼間でさえ強盗が出るような荒れ地でした。それで売春窟でもつくれば、ちょっとはましな土地になるだろうと、吉原が開設されました。アシばかり生えてる原っぱ、アシは「悪(あ)し」に通じるので「よし」と言い換え、「よしはら」になったというのが通説です。その後、吉原は現在の場所に移るので、移転前を「元吉原」、移転後を「新吉原」と呼ぶようになりました。
http://www.tanken.com/yosiwara.html


津浪の跡は葦(ヨシ、アシ)になった写真を出した。それはもとの自然状態にもどったのだ。そこにヨシキリが鳴いて巣を作ろうとしている。そこはもともと人家は少なかったから人家が密集しているような津浪の跡のようにはならなかった。砂浜にうもれ葦が茂り風にさやいで海からの風が涼しい、ところどころ湿地帯になりそこに花が咲き生き物がすむとそこは北海道とにているのだ。
自然にもどるということはそこがもとの自然の美におおわれるということでもあった。

ところが神戸とかの大都会だと地震の跡は自然に埋もれたりしない、人工化された世界だから建物の崩れた山と化す、人口の密集した市町村ではそうなっている。石巻とか大きな市だとそうなっている。ただ津浪の被害は海が前にあるからそこが自然なのでありその自然は変わっていない、海の景色は変わっていないのである。東京辺りで大地震があり津浪の被害があったからあれだけ家が密集しているのだからその被害は無残なものとなる。そこが湿地帯とか草原とか砂にうもれることはない、
瓦礫の山が延々とつづく、醜悪そのものの地獄絵図になる。


人間社会はすでに地名一つとってもすでに汚れたものがしみついていることがわかった。吉原というとき何か繁華な色街となりそこからエロが発散してくる。今なら客引きして外国人があふれている新宿歌舞伎町のようになる。吉原もいきな風流の場所としてあったことは違っていてもやはり吉原というと極めて人間的な欲望のエロが氾濫しているようなイメ-ジがこの地名からあふれているのだ。

吉原からすでに葦の原という原始の状態をイメ-ジできないものとなっていた。地名はもともとそういう原始の状態から名づけられたものが多かった。田の場合はたいがい田になる以前の原始のままの自然の状態に田がついたのである。葦は吉田となり芦田となったりと無数にそういう地名が田にはある。まだ田だからそういう地名は遊廓化した吉原とは違っている。原町というと今はどこでも市街になっているから原っぱだったということをイメ-ジする人はない、前の原町市もそうである。でも実際はそこは野馬追いの牧だった、原っぱだったのである。


それは「地名」が、始祖の神が降り立ったということによって名づけられたものだからです。つまり「地名」は、「神話」に裏付けされてできたものと考えられたのです。


飛鳥-明日香とうとき何か意味がわからないにしろ美しいものをイメ-ジする。名から人をイメ-ジするように人間は地名からまず言葉からイメ-ジする。知らない地でも言葉から地名からイメ-ジする。百伝う磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ 大津皇子これも半分が地名であり地名が喚起する歌であり万葉集には地名から喚起するきが多い。地名自体がすでに大きな意味をもっていた。「みちのくの真野の草原遠けれど面影にして見ゆというものを 笠女郎」これはすでにみちのく-真野が地名でありさらに草原(かやはら)が地名だとしたら半分が地名である。それでもこの歌の意味は歴史的にも大きな意味をもっている。

現代はすでに地名の喚起力が薄れている。地名の基となったものがすでに都会では失われているしないのである。だから地名だけからイメ-ジすることがむずかしいのである。


 『衣摺』は、古くは“きぬずり”と読んだともいい、地名の由来は、布に模様を染める技術をもつ人たちが住んでいたからではないかと言われています。
 この近くの大阪市には鞍作(くらつくり)、八尾市には弓削(ゆげ)という地名が残されていて、古代に、物部氏がこのあたり一帯に大きな文化圏を形成していたようです。
http://www.do-natteruno.com/con_c/c82/c82.html


月草(つきくさ)に衣ぞ染むる、君がため、斑(まだら)の衣、摺(す)らむと思ひて 大伴家持


摺をする渡来人の部民集団が住んだ所となる。それなりに古い家があるとしてもやはり万葉時代とはあまりにも違っている。月草と露草であり辺りには露草が一面に繁茂していたのだ。これはかなりの量がとれる花である。そういう自然のあるところに自ずと月草を染料にする部民が住み着いた。そういう材料がないところには住まないのである。とういうことは自然の中に地名も生まれていたのである。ただ機織りというと戦前までは家々でしていたのである。だから機(はた)の音が聞こえていた。それが工場化したときそうした風情も喪失したのである。地名はそういう素朴なものから生まれている。それが都会化したり工場化してイメ-ジがまるで違ったものとなってしまったのである。


いかるがのさとのおとめはよもすがらきぬはたおれりあきちかみかも 会津八一


これもリアルな現場から離れ空想的にイメ-ジ化しているのだ。会津八一の歌はそうしてできた。
詩的にイメ-ジした回想なのである。万葉集はそうした詩的イメ-ジとも違う、大地に根付いた生活感あふれたものであり現実だったのである。君がためというときも具体的な相手がいて機を織っているのである。万葉集の歌は空想ではないし回想でもない、当時の生の現実をそのまま歌っていた。それは美として作られたものではない、美そのものが現実だったのである。月草と言った時、それは具体的な自然の素材を利用するものでありそういう日々の仕事中から極自然に生まれた歌なのである。
だから現代ではそういう歌は作れないのである。

posted by 老鶯 at 02:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 万葉集
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