南相馬市鹿島区右田浜の消えた松原の貴重な写真
この道のまっすぐ行った所の家は消失した
これは火力発電所ができるまえの烏崎である。
この家が全部なくなった。
これは真野川河口である。
河川改修する前の真野川河口で自然の状態があった
これは河川改修する前の薬師堂への道である。
薬師堂は移動して残っている。
これも故郷の記録としてあった。
注意
クリックすると拡大して鮮明に見えます
他の写真も縮小してぼやけてみえていました
クリックすると鮮明に見えます
右田浜の松原が消えてしまったことは今でも信じられない、長年親しんできたしあの松原も百年くらいあったのか、それが一瞬にして津浪で消失した。こんなふうになるのだったらもっと記念に写真とっておけばよかったと思った。名残りを惜しんでいれば良かった。
右田の松原は松がそれなりに太くていい松原だと見ていた。松川浦の松原は松が細いのであまりいいと見ていなかった。ともかく今や松原を思い出すのは頭の中と写真しかない、写真がいかに貴重かわかる。記録として貴重なのである。烏崎の村は全部消失した。この写真は火力発電所ができるまえの自然のままの光景のときとっていたのがたまたま残っていた。今になるとこういう写真がいかに貴重かわかる。なぜならこの写真に写っている烏崎の家は全部なくなったからである。この写真をとったのはすでに30年前とかなのである。あの頃からよく自転車で原町に高台の道を通り行っていた。あの時は火力発電所がなかったから自然のままの砂浜が残っていたのである。その砂浜の写真はとっていなかったのが失敗だった。
他の人も写真をとっていたら貴重である。右田浜からまっすぐの道の北右田の家は消失した。
これも貴重である。他でもいい松原が消失したから思い出すのは写真くらいしかなくなった。
【地震津波水害関係の最新記事】
- 地震と地盤と家の修復 (様々な要素..
- 人間は急激に起きることに対処できない ..
- 都会の見えない津波 (人間は見えな..
- 今回の地震は被害が少なかったので安心? ..
- 怖かった地震ー東日本震災と同等だった
- 津浪は時間軸で見ない結果被害が大きくなっ..
- 十年一昔 (津波も原発事故も忘れら..
- 震災後、宮城県亘理町の干潟「鳥の海」「名..
- 東日本震災から10年にもなり大きな地震の..
- 水害で塗炭の苦しみにある中国南部 中国メ..
- 右田の松原の写真を一枚加える
- 磯部村の寄木神社の謎(津波の伝説を調べる..
- 津浪で流された右田のキャンプ場の松林の写..
- 海上保安庁で津波の遺体捜索 (南相..
- 郷土史研究で失敗したこと (広域的..
- 神和(かんなぎ)神から荒ぶる神と化した海..
- 平成の大合併で自治体の耐災力が脆弱に
- 海老村の大工の善次が経験した怪異はやはり..
- 相馬藩の慶長津波の証拠 (津波の前..
- 以前として解き明かされない津波の謎 ..