あしひき--の足は葦だった
(みちのくの真野の草原と葦原の謎の解明)
味真野に宿れる君が帰り来む時の迎へをいつとか待たむ
題詞 (中臣朝臣宅守与狭野弟上娘子贈答歌)
篠山の地名考-「味間(あじま)」
「味間」という言葉の起こりを調べてみますと、むかしむかし、このあたりは沼地が多く、広大な湿地帯が広がっていたようです。したがって、湿地や沼には、たくさんの葦(芦)が生えていたのでしょう。そうした葦の合間に見えるところ・葦間(芦間)から言葉がなまって、「味間」と呼ばれるようになったという説があります。
兵庫県文化財保護指導委員 大路 靖
味真野というとき葦真野だったのである。真野という地名があるとき味は葦は一体であり真野の前に葦があったのである。だから味真野-葦真野という地名が生まれた。真野の原風景が葦真野だったのである。
みちのくの真野の草原遠けれど面影にして見ゆというものを 笠女郎
みちのくの真野は味真野-葦真野でもあった。真野とつけは葦と一体でありそういう所に真野がつけられたこともありうる。味真野という地名が原風景の地名なのである。でも真野だけではない、日本の原風景が葦原だったのである。
我が聞きし、耳によく似る、葦(あし)の末(うれ)の、足ひく我が背(せ)、つとめ給(た)ぶべし
家ろには葦火焚けども住みよけを筑紫に至りて恋しけ思はも
番号 20/4419
題詞 (天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
【語釈】◇葦火 葦などの草を燃料として焼く火。山国でない武蔵国の庶民にとっては、炭は高価な燃料であった。◇恋しけ思はも 「恋しく思はむ」の東国訛りであろう。
万葉集-葦の歌
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/flower/asi.html
あしひき---という枕詞は葦引きであり葦をひきながら進むことなのである。あしひき---とあったら必ず葦をイメ-ジしなければならない、
「天地[あめつち]初発[はじめ]の時、高天原[たかまのはら]に成りませる神は……次に国稚く浮脂[うきあぶら]の如くにして、海月[くらげ]なす漂へる時に、葦芽(あしかい)の如く萌騰[もえあが]れる物……」
日本の原初の状態はこのような状態であり一面の葦の原だった。葦火焚けども・・・これは葦を燃料としていた時代があったのである。筑紫ではすでに炭があったから先進国であった。外国の技術が入ってくる場所だった。それを対称的に東国の防人が故郷では葦火たいていると歌ったのである。
しらぬひ 筑紫の綿は 身に付けて 未だは着ねど 暖けく見ゆ
沙弥満誓(笠朝臣麻呂)
この歌は筑紫が外国文化の入る先進地帯だったことを示しているのである。
●葦原と草原(かやはら)の謎
岡山市北部のごく限られたエリアでありながら、重要な文化財が集中する足守地区。
足守の地名は、古くは日本書紀応神天皇二十二年(推定五世紀初頭)の期に「葉田葦守宮(はだあしもりぐう)」の記述に見られます。「葦守」が「足守」に転じており、「葉田」は「秦」を示します
古代足守郷に勢力をふるった賀陽氏の名が刻まれていますが、宮を創建した吉備仲彦は香屋臣(かやおみ)の祖。その血統が賀陽氏に引き継がれているといいます。
みちのくの真野の草原(かやはら)は伽耶(カヤ)の国に由来するという考察をした。なぜなら草原郷(かや)となるときそれがこの賀陽)かや)とか香屋臣(かやおみ)の祖に由来している。カヤはこの渡来人からのカヤであり萱が繁っているというのではないと考察した。沙弥満誓は笠氏だから笠女郎の父親であり笠女郎の故郷は吉備の萱(カヤ郷)の出で笠氏は賀陽(かや)からの帰化人だったという説である。足守という地名が葉田葦守宮(はだあしもりぐう)」ということは秦氏の葦守だとなっている。渡来人の守る葦守になっている。渡来人⇒味真野⇒葦真野というふうにもなる。草原(かやはら)が何か不明にしても渡来人の匂いが色濃くするということは疑いないのではないか?
ただ葦(あし)と草(かや)は根本的に発音が違うのだから別な種類のものである。別な意味をもっている。発音がカヤとなるとき賀陽)かや)とか香屋臣(かやおみ)と結びつく、単なる草原(かやはら)を自然の景色なのかという疑問がある。これは一地名だと考察したのもそのためである。すでに真野という時、味真野として古代的原風景の葦真野をイメ-ジするから次に葦とにた草(かや)をここに入れるのは不自然ともなる。ただ大萱葦 (信濃)と萱と葦が合体した地名もある。ここでは萱と葦は別なのである。萱というのは萱場とか枯れた状態の萱でありこれは材料として茅葺き屋根に大量に使われた。萱は枯れた状態の萱であり風景としてはそれほど美しいともいえない。葦原の方が今回の津浪や原発事故で田んぼが葦原になったことでこれが原初の風景だったなと改めて認識した。萱原の萱はあくまでも美しい光景としてより萱を材料としたものとして表現していた。
語源は、葦(よし)(イネ科の多年草)で葺(ふ)いた粗末な家屋のあったところをいった「葦屋」か、「や」が「湿地」を表し、葦の生えた湿地のことと考えられてる。
家屋が葦屋となるのは家屋を基にしているから言葉のこじつけになっている。カヤとアシは別ななものであった。
●みちのくの真野の草原の無難な解釈
実際の所は草原の謎は深い、自然情景なのか草原が伽耶とかの関連しての港地名なのか、その判別が明確にできないのである。もしこの草原が自然情景の草原だとしたら茫漠たる津浪の跡に繁った葦の原野をイメ-ジされる。そういう茫漠とした遠い僻地を思わせる。そういうところを女性が恋の歌として思い浮かべるのは何か違っている。何かそぐわないのである。みちのくの真野の草原の草原が港のような地名だったらまた別である。どんなに遠くに行こうが私は家持様を思い浮かべますよ、面影に見ますよとなる。「面影にして見ゆというものを・・」これは茫漠とした草原のこと葦原のことなのか?それとも大伴家持のことなのか?これも判別しにくい、確かに多賀城に大伴家持は晩年派遣されて来たという説もあるが定かではない、ただここでのみちのくの真野は遠い所として知られた場所としての真野だったのである。それを奈良の都で知られていたから遠い所の比喩として使われた。
とすれば真野の草原の草原は萱原としての自然情景ではないのである。
みちのくの真野の草原遠けれど面影にして見ゆというものを 笠女郎
この意味は陸奥という真野と知られた遠い地の草原(かやはら)という港がある地、そんな遠くに例えあなたが行ってしまってもあなたの面影は忘れることはありません・・・そういう意味になる。
自然情景ではないのである。そんな遠い所の地を面影に偲ぶということはありえないのである。
それも女性でありそんな荒寥とした地を歌うのにはふさわしくない。ただ古代の女性だからその辺の感覚はまた違っている。それでもやはりこの歌の解釈は自然情景を歌ったというよりはあくまでも恋の歌でありみちのくの真野の草原は遠い知られた地を例えとして作られたのである。それが無難な解釈ではなかろうか?それにしてもこの辺があまりにもまぎらわしいのである。この歌は非常に誤解しやすい歌だったのである。万葉集にはそうして誤解しているのがいくらでもあるに違いない、それは一重に当時の情景が余りにも違っていたためである。この辺で津浪が塩崎までおしよせたことに驚嘆した。船も港から流されてきた。そして古代に船着とか市庭とかいう地名があった。それがリアルに再現したことに驚いたのである。自分も葦というものをこれほど意識したことはなかった。古代の自然の情景が実際はイメ-ジできなくなっていたのである。この辺で大葦辺りを秘境だと書いたがまさにあそこも葦が繁った辺鄙な地域で開拓に入ったのである。いかに葦がいたるところに繁茂していたかわかる。田んぼが津浪で原発で葦原になったことは本当に驚きだったのである。
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