病気は生活習慣病が多い(認知症も生活習慣が作用している)
認知症になりやすい3つの条件-週間新潮より
連関、連環する脳の方が脳を有効に使うにはいい
●生活習慣が病気の原因
病気の原因は遺伝的なものもあるがその人の生活習慣が病気の元を作っている。だから60代以降どうしてもその生活習慣の堆積が病気を引き起こす。病気にも原因があり突然に病気にはならない、病気になる要因が体に堆積して病気になってくる。一見突然病気になり死んだりする人がいるがそれもやはり日頃の生活の中で病気が実は進行していたけど表に現れなかっただけである。これはあらゆることに言える。人間の事件でも突然起こったりしない、よく事件を起こす人を観察していれば見えないにしろこの人を見ていればあんな事件を起こすこともありうるなと納得がいくことが多いのである。自然現象でもそうである。今回の地震でも津波でも突然にこんな巨大な津波が起こるということは良く観察していればなかったかもしれない、何か予兆があったが科学者が気づかなかったのである。
なぜなら頻繁に今回の地震が起こった場所で地震が起きていたからである。ただそれがこんな巨大な津波に結びつくと判断できないだけだったのである。
病気が生活習慣病だというとき例えば食生活が明治以降さらに戦後は欧米化して極端に肉食が多くなり変化した。欧米では肉食に向いている体になっている。肉を消化しやすい体になっている。狩猟、牧畜民族がそうなっている。日本人は胃が弱い人が多い、胃ガンも欧米人よりも十倍多いという。
欧米人とは体の作りがそもそも違っている。だから肉を消化できないから欧米人のように太らないという。消化酵素が日本人より多く出るから肉を消化できる。日本人の腸が長いのも穀物を消化するために牛が反芻するように長くなった。生物はその環境に風土に適したように長い間に作られてきたのである。日本人は縄文人からそうして体が日本の風土に適するように作られてきた。海産物主体の食生活が日本人の体に適するようになっていたのである。日本には牛、馬、羊がいないということが
魏志倭人伝に記されているように日本の特徴を外国人から見たとき記されているのだ。海産物が主体だというとき今回の原発事故でヨウソが海苔などからとっているから不足しないから甲状腺ガンになりにくいというのもそのためだった。外国ではヨウソが不足する食生活だったのである。ただ日本では眼病とか脚気とかの病気が多かったということはやはり何らか栄養が不足してそうなっていた。
それは欧米化してなくなったのである。戦後十年くらいまで卵すら食べられなかったのだから日本人は総じて栄養不足だったのである。戦後は栄養過多になり糖尿病がふえてきたのである。これも生活習慣病なのである。前立腺ガンが増えたのも欧米の食生活、肉食などが関係していると言われる。もともと欧米には前立腺ガンが多かったからである。
生活習慣病というとき喫煙や酒の飲み過ぎが体を無理させることを長年つづけていれば60代以降その結果が必ず体に現れる。体の丈夫な人は無理ができるからそんなことを考えないが60代以降にはその無理が蓄積されて体に現れるのである。だからといって体にあまりにも気遣いやりたいことをやらないというのも問題である。体力のない人は無理ができないから冒険ができないからつまらない人生ともなる。やっぱりきつい登山などができる体あることにこしたことはないのである。ただ会社員でも何でも体を無理させるとそれが蓄積して60代以降病気になりやすいことは確かである。自分を例にとれば自分は勤めていないのだから無理したことがない、疲れたらいつでも寝ていた。多少自転車旅行とか登山で無理したけどそれもぐったり疲れてあとは何日も寝ていた。そういう恵まれた生活だったのである。だから無理しないから今日まで体力がないのに今病気になったにしろここまでやれたなと我ながら思う。これが会社勤めとかなると自分は全く集団生活にも向いていないからストレスがたまるし疲れたからと休むわけにもいかないから疲労が蓄積されてもともと体が弱いから病気になりやすかったことは確かである。
●認知症も生活習慣病が原因の側面もあった
認知症にもいろいろありいちがいに言えない,若年性のアルツハイマ-と老年のアルツハイマ-は症状はにていても違ったものらしい。老年のアルツハイマ-は生活習慣病の側面があるようだ。認知症になる人が統計的に割り出されている。公務員とか先生とか裁判官などに多いというのはやはりこういう職業が型にはまっていて創造性がない職業になっているためである。先生でも歴史とか国語関係の人が多く理系の実験をする科目の人には少ないとかあるのはやはり型にはまって同じことを教えているかもしれない、美術とか科学とかは日進月歩であるけど歴史とか国語は型にはまってしまった教え方しかしないのかもしれない、ただ数学の先生が認知症になったりとその実体は多様であり複雑である。認知症というのはその人の個性がかなり反映されるから症状が人によって違っているのだ。
激情的な人は激情的になるから扱いにくいし大人しい人は大人しい認知症、ボケになるから扱いやすいのである。認知症は千差万別なのかもしれない、同じ型にはまった症状があるにしろその人の家族関係とか個性で変わってくるのである。
週間新潮の記事で指摘されたことは面白いので読んだ。なぜレ-ガン大統領、サッチャ-首相やシラク大統領など特別優秀な人が認知症にアルツハイマ-になったのか?この人たちは一番脳を使って優秀な人ではないか?なぜそういう特別優秀な人がなったのかという疑問に答えている。身内で自分もこのことを経験している。学校を一番で卒業して活発な性格であり体は太っていても運動能力があり人間的にもただ頭がいいというだけではない、性格がしっかりしていた。それで日赤の看護婦となり従軍看護婦となってシンガポ-ルに四年も過ごした。その頃は日赤に入る人は優れた人だった。看護婦になることもなかなかできなかった。この辺では看護学校もないし東京で資格をとった。一緒に60年生活して人間的にもしっかりして頭もいい人がどうして認知症になったのか不思議だった。
その原因は生活習慣にもあったことは言える。公務員だったということがあり看護婦や保健婦の時はそれなりに張りがあって働いていたがあとは事務の方に回り怠惰になり早めに退職してそのあとは30年くらい働いていない、何もしたくないと家事すらしない、家事をする人がいるから趣味のようなものをやっていたがそれは向いていなかった。何かもともと体が丈夫なのだから自分にあったことをしていれば良かったが何もしなかった。ただ怠け者になってしまっていたのである。そういう生活習慣が影響したことは確かである。なぜなら死ぬまでの二年間は家事をした。洗い物や手で選択したり掃除もした。そしたら自分は役に立っていると元気になり症状が改善したのだからこれは明かに認知症の改善に効果があったのである。一番ボケ安いのが「ばあちゃんは何もしないでいいですよ、テレビでも見ていてください、全部自分がやりますから・・・」こういうふうに嫁に言われた人だ言うのがわかる。何もしなくていいということは役割も何もない、生きがいもないということである。家事は結構頭を使うし体も使うし家族のために働くということで生きがいにもなるのだ。それを自分でやってみてわかった。自分が家を家族を支えているんだという生きがいをもつことができるからだ。
●優れた人がなるにはそれなりの訳が・・・
ただそれではレ-ガン大統領やサッチャ-首相のような仕事一筋の人がどうしなったのかという疑問がある。サンデ-毎日の解説では「仕事中毒」「達成感」とかあった。二人とも政治脳に特化して脳が偏ったためだという。人間は今はどこでも専門家して仕事してしいる。すると脳が法律脳とか数学脳とか国語脳とか英語脳とか医学でも分化して心臓のことばりとか胃腸のことばかりとかそこだけに注意を払う人が増えてくる。全体をみない、一部分だけに人間の脳が集中する特化しやすい、江戸時代ころまでは全体的視野をもつ全体に機能する能力が発達した。バランスのとれた総合人間になれる環境があった。今はみな専門家してある部分に特化して能力を駆使すると脳が偏るということありえる。
だいたい脳は生涯で二割くらいしか使われていないとか言われるように人間はいくら能力がなくても開発しない限り自ら引き出さない限り能力は発揮できないのである。芸術だって視覚的絵画から音楽から彫刻から文章からその分野が多岐にわたる。でもその一部分しか能力を発揮できない、俳句だけやっている人は俳句脳にっなしまうかもしれない、だから俳句の専門家で私は俳人だなどという人は偏った人間になってしまう。俳人などは今の時代には存在し得ないのである。
人間の脳がなぜ二割くらいしか使われないかというと人間が生きている時間が短いということもある。生きている時間が短い十分に活用できないということもある。高齢化になるとその使われない脳が使われるということもありうる。ただ人間はどうしても一芸に秀でてもあらゆることをこなすことはできない、そこが人間の弱点なのである。一部分の脳の能力が特化するより連関、連環的に作用するのが理想だがそれがむずかしいのである。社会がこれだけ複雑化すると専門分野を究めるだけで時間をとられるしそうしなければその方面で一流になることは無理だからである。
認知症の謎はどうしてあれほど優秀な人がなったのかということである。その謎は実際は相当に深く簡単には解明できないだろう。そしてそういう特別優秀な人がなると本当に悲惨なものとなる。認知症は馬鹿になった,痴呆になったというのだから信じられないとなってしまう。そのことを身内でまざまざと見たとき人間に与えられた神からの罰かもしれないとも思った。そのことは前に書いた。
この世に優秀な人はいる。体力もあり頭もいい人がいる。人間的にしっかりしている人がいる。学校の同級生でも運動ができて頭もいいという人がいることはみないるだろう。自分はあらゆる点で劣っていた。勉強も体力もなにかもだめだった。だから体力があり運動能力にたけて勉強もできるという人がいる。そういう人がきること自体理解できないことがあった。でもそういう人は常に存在した。天才的な人はいる。しかしこういう人の盲点は「俺はできるんだ、特別なんだ」という奢りになり他者を馬鹿にするのである。レ-ガン大統領にもサッチャ-首相にもそういことがあったに違いない、こういうふうにできる人はまた悪人にもなる。悪人にしてもやはりそれなりの能力がなければなれないのである。そういう人は悪人になれば大きな悪人になるということである。
正力松太郎とかは原発を誘致した読売新聞社の社長になった。この人も体力的にも能力的にも優秀な人だったからこそ政界でも財界でも重きを成すものとなった。そういう社会で重きをなす人はまた何かをできる人だからそうなる。そういう優れた人はいい面に働けばいいが悪い面に働くとまたその影響は大きいのである。
科学者にしても実際は原子力を発見した人は核兵器を作ることにもなったのだかち怖いということにもなったのである。能力がなければ優れていなければそんな危険なものを人類が扱うようにならなかったからである。そういう優れた人間への罰が認知症となったのかもしれない側面はあった。ただこれも本当のところはわからない、体自体の病気であり脳の細胞の病気だからやがて直すことができるという人もいるからわからない、ただ自分が身近に介護したりして見た限りはそういう人間への罰的側面があったと感じたのである。ただこれは千差万別だとするとその原因は特定できないのである。
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